ゲーテ『ファウスト』におけるメフィストフェレス登場の場面の全文和訳と対訳とドイツ語の発音、『ファウスト』の和訳②
前回取り上げたゲーテ『ファウスト』の「書斎」のシーンでは、ファウスト博士が新約聖書に記された古代ギリシア語の「ロゴス」という言葉の翻訳を試みていく場面が描かれていますが、
その後の場面では、こうして夜の書斎で一人物思いに耽っているファウスト博士のもとへ黒い尨犬(むくいぬ、毛のふさふさと垂れた犬)の姿を借りた悪魔メフィストフェレスが忍び寄ってくることになります。
そして、今回取り上げる『ファウスト』からの引用箇所では、ついに、メフィストフェレスが黒い犬の姿を捨てて、ファウストの前にその姿を現して彼との問答をはじめる場面が描かれることになるのです。
ちなみに、今回の引用箇所では、
ファウストに自分の名前を聞かれたことに対するメフィストフェレスの答えの中で、「(ファウストは)言葉というものをあれほどまでに軽んじているのに」という台詞が出てきますが、
こうしたメフィストフェレスの台詞は、前回取り上げた「書斎」におけるファウスト博士のロゴスの翻訳の場面において、
ファウスト博士が、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭部分の古代ギリシア語原典における「はじめにロゴスがあった」という記述を、
ルター聖書におけるドイツ語訳にあるような「はじめに言葉があった」と訳すのは
ロゴスという神聖な言葉の解釈としてはふさわしくないとして切り捨て、
最終的に、それは、「はじめに業があった」と訳されるべきであると主張していることを念頭に置いて語られていると考えられることになります。
『ファウスト』におけるメフィストフェレス登場の場面のドイツ語原文
ゲーテ『ファウスト』の「書斎」の章において、
悪魔メフィストフェレスが主人公であるファウストの前にはじめてその姿を現し、二人で問答をはじめていく場面は、
ドイツ語の原文では以下のように記されています。
・・・
Faust:
Wie nennst du dich?
Mephistopheles:
Die Frage scheint mir klein
Für einen der das Wort so sehr verachtet,
Der, weit entfernt von allem Schein,
Nur in der Wesen Tiefe trachtet.
Faust:
Bei euch, ihr Herrn, kann man das Wesen
Gewöhnlich aus dem Namen lesen,
Wo es sich allzu deutlich weist,
Wenn man euch Fliegengott, Verderber, Lügner heißt.
Nun gut wer bist du denn?
Mephistopheles:
Ein Teil von jener Kraft,
Die stets das Böse will und stets das Gute schafft.
Faust:
Was ist mit diesem Rätselwort gemeint?
Mephistopheles:
Ich bin der Geist, der stets verneint!
Und das mit Recht; denn alles was entsteht,
Ist wert dass es zugrunde geht;
Drum besser wär’s dass nichts entstünde.
So ist denn alles was ihr Sünde,
Zerstörung, kurz das Böse nennt,
Mein eigentliches Element.
メフィストフェレス登場の場面のドイツ語文と日本語文の対訳
そして、次に、上記のドイツ語原文を、発音とアクセントの目安を併記したうえで、ドイツ語原文と日本語との対訳形式で一行ずつ訳していくと以下のようになります。
※ただし、ドイツ語文で強調して読まれるアクセントの目安については、ドイツ語文の下に記した発音を示すカタカナ表記を太字で記すことによって示すこととし、
日本語の訳文を書いた後の※印の部分でところどころ簡単な文法上の注釈を付記している箇所があります。
また、ドイツ語文と日本語文との対訳関係がより分かりやすくなるように、日本語文の訳文において重要な意味を担う箇所を太字で記したうえで、それに対応するドイツ語文の箇所も太字にする形で記しています。
・・・
Faust(ファウスト):
Wie nennst du dich?
(ヴィー・ネンストゥ・ドゥー・ディヒ)
お前の名は何というのだ?
Mephistopheles(メフィストフェレス):
Die Frage scheint mir klein
(ディー・フラーゲ・シャイントゥ・ミア・クライン)
その問いは少しばかりつまらない質問のように思われますね。
Für einen der das Wort so sehr verachtet,
(フュア・アイネン・デア・ダス・ヴォルトゥ・ゾー・ゼア・フェアアハテットゥ)
言葉というものをあれほどまでに軽んじ、
※この文のderは「ファウスト」のことを示していて、その前の不定冠詞einen は「~のような人物」といった意味を示す意味で使われていると考えられる。
Der, weit entfernt von allem Schein,
(デア・ヴァイトゥ・エントフェルントゥ・フォン・アレム・シャイン)
一切の見せかけの姿から遠く離れて、
Nur in der Wesen Tiefe trachtet.
(ヌア・イン・デア・ヴェーゼン・ティーフェ・トラハテットゥ)
ただ物事の本質の深みのみを追い求めるあなた様にしては。
Faust(ファウスト):
Bei euch, ihr Herrn, kann man das Wesen
(バイ・オイヒ・イア・ヘルン・カン・マン・ダス・ヴェーゼン)
お前たちとそれに類する者たちの王の場合には、おのずと本質も分かるのだ。
※Herrには、紳士、男性といった意味の他に、主人、支配者といった意味もある。
Gewöhnlich aus dem Namen lesen,
(ゲヴェーンリヒ・アオス・デム・ナーメン・レーゼン)
たいていの場合、その名を聞きさえすれば。
※ただし、文末のlesenは一行前の文中の助動詞kannに対応する不定詞。
Wo es sich allzu deutlich weist,
(ヴォー・エス・ズィヒ・アルツー・ドイトリヒ・ヴァイストゥ)
だって、あまりにはっきりし過ぎるくらい明白になるではないか。
Wenn man euch Fliegengott, Verderber, Lügner heißt.
(ヴェン・マン・オイヒ・フリーゲンゴットゥ・フェアデルバー・リューグナー・ハイストゥ)
蠅(ハエ)の神とか、破壊者とか、嘘つきといったお前たちの名を聞きさえすれば。
※Fliegengott(蠅の神)とは、新約聖書の「マタイによる福音書」12章24節に出てくるヘブライ語の「ベルゼブブ (Beelzebub)」という悪霊の王の名をそのままドイツ語の単語へと置き換えた表現。
Nun gut wer bist du denn?
(ヌン・グートゥ・ヴェア・ビストゥ・ドゥー・デン)
まあいい。それでお前はいったい何者なのだ?
Mephistopheles(メフィストフェレス):
Ein Teil von jener Kraft,
(アイン・タイル・フォン・イェーナー・クラフトゥ)
あの力の一部です。
Die stets das Böse will und stets das Gute schafft.
(ディー・シュテーツ・ダス・ベーゼ・ヴィル・ウントゥ・シュテーツ・ダス・グーテ・シャフトゥ)
常に悪を望み、常に善を成すという。
Faust(ファウスト):
Was ist mit diesem Rätselwort gemeint?
(ヴァス・イストゥ・ミットゥ・ディーゼム・レーツェルヴォルトゥ・ゲマイントゥ)
その謎かけ言葉が意味するところは何なのだ?
Mephistopheles(メフィストフェレス):
Ich bin der Geist, der stets verneint!
(イッヒ・ビン・デア・ガイストゥ・デア・シュテーツ・フェアナイントゥ)
つまり私は常に否定し続ける霊なのです。
Und das mit Recht; denn alles was entsteht,
(ウントゥ・ダス・ミットゥ・レヒトゥ・デン・アレス・ヴァス・エントシュテートゥ)
それも当然のことです。なぜなら、生まれてくる一切のものには、
Ist wert dass es zugrunde geht;
(イストゥ・ヴェアトゥ・ダス・エス・ツグルンデ・ゲートゥ)
ただ滅びゆくだけの価値しかないのですから。
※zugrunde gehen:死ぬ、滅びる
Drum besser wär’s dass nichts entstünde.
(ダルム・ベッサー・ヴェルス・ダス・ニヒツ・エントシュチュンデ)
それならば、いっそはじめから何も生まれてこない方が良いのに。
※wär’s は、wäre esの省略形。
※wäre とentstündeは共に接続法Ⅱの現在形で「~であればいいのに」という反実仮想の意味を示す。
So ist denn alles was ihr Sünde,
(ゾー・イストゥ・デン・アレス・ヴァス・イア・ズュンデ)
ですから、あなた方が罪とか、
Zerstörung, kurz das Böse nennt,
(ツェアシュテールング・クルツ・ダス・ベーゼ・ネントゥ)
破壊とか、つまり悪と名づけているもののすべては、
Mein eigentliches Element.
(マイン・アイゲントリヒェス・エレメントゥ)
私の本来の領分に属するものなのです。
『ファウスト』におけるメフィストフェレス登場の場面の全文和訳
そして最後に、上記のドイツ語文と日本語文の対訳の中から、和訳の部分だけを抜き出して、改めて該当箇所の全文和訳を記す形でまとめ直すと以下のようになります。
・・・
ファウスト:
お前の名は何というのだ?
メフィストフェレス:
その問いは少しばかりつまらない質問のように思われますね。
言葉というものをあれほどまでに軽んじ、
一切の見せかけの姿から遠く離れて、
ただ物事の本質の深みのみを追い求めるあなた様にしては。
ファウスト:
お前たちとそれに類する者たちの王の場合には、たいていの場合、
その名を聞きさえすれば、おのずと本質も分かるのだ。
だって、あまりにはっきりし過ぎるくらい明白になるではないか。
蠅(ハエ)の神とか、破壊者とか、嘘つきといったお前たちの名を聞きさえすれば。
まあいい。それでお前はいったい何者なのだ?
メフィストフェレス:
常に悪を望み、常に善を成すというあの力の一部です。
ファウスト:
その謎かけ言葉が意味するところは何なのだ?
メフィストフェレス:
つまり私は常に否定し続ける霊なのです。
それも当然のことです。なぜなら、生まれてくる一切のものには、
ただ滅びゆくだけの価値しかないのですから。
それならば、いっそはじめから何も生まれてこない方が良いのに。
ですから、罪とか、破壊とか、
つまりあなた方が悪と名づけているもののすべては、
私の本来の領分に属するものなのです。
・・・
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前回記事:ゲーテ『ファウスト』におけるロゴスの翻訳の場面の全文和訳と対訳とドイツ語の発音、ゲーテ『ファウスト』の和訳と解釈①
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