ゲーテの『ファウスト』におけるロゴスの四つの意味、ロゴスとは何か?④
前回書いたように、
新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭部分において記されている古代ギリシア語のlogos(ロゴス)という単語が、
ドイツ語のWort(ヴォルト)、英語のword(ワード)といった、日本語の「言葉」にあたる単語へと置き換えられる形で訳されるようになった理由については、
16世紀のヨーロッパにおける宗教改革の先駆者となったマルティン・ルターの手によって訳された聖書のドイツ語訳であるルター聖書がこうした訳し方の定着に重要な役割を担っていたと考えられます。
そして、
こうした聖書におけるロゴスという言葉の適切な解釈のあり方について重要な問題提起を行った人物としては、
ルターの他に、彼のおよそ300年後の時代を生きたドイツの思想家であるゲーテの名が挙げられることになります。
ゲーテの『ファウスト』におけるロゴスの四つの意味
18世紀後半~19世紀前半のドイツの詩人にして劇作家でもあるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の代表作である長編戯曲『ファウスト』においては、
高名な錬金術師であったファウスト博士が悪魔メフィストフェレスに対して、
メフィストフェレスが彼の望みをすべてかなえ、彼がその瞬間に対して「とどまれ、お前はいかにも美しい」と言ったならば、メフィストフェレスに自分の魂を売り渡して彼の僕となるという契約を結ぶことで、一大劇詩の幕開けを迎えることになります。
そして、
このように物語の主人公であるファウストと悪魔メフィストフェレスが魂の契約を交わす直前のシーンでは、
ファウストが一人自分の書斎へとこもり、古い文献をひもといて、その文献に記された一語に対する最もふさわしい訳は何か?と考えあぐねる場面が出てくるのですが、
このシーンでファウスト博士が翻訳作業の題材として取り上げている古典文献こそがまさに、古代ギリシア語で書かれた新約聖書の原典において「はじめにロゴスがあった」という言葉が記されている「ヨハネによる福音書」の冒頭部分の箇所ということになるのです。
そして、
こうしたファウスト博士による新約聖書のギリシア語原典からのドイツ語への翻訳のシーンは以下のような出だしではじまることになります。
あの原典をひもといてみずにはいられない。誠実な気持ちでひとつ、
この神聖なる原文を、私の心に響く好ましいドイツ語へと訳してみることにしよう。
(ゲーテ『ファウスト』第一部「書斎(一)」)
そして、ファウストは、
この”En arche en ho Logos.“(エン・アルケー・エン・ホー・ロゴス、「はじめにロゴスがあった」) というギリシア語原典の一文を、まずは、ルターによる聖書のドイツ語訳を念頭に置いたうえで、
「はじめに言葉(Wort)があった」と訳すことになります。
しかし、
思弁的な哲学者であるというよりは、現実的な行動主義者のきらいがあるファウストは、こうした答えでは満足せずに、
さらに、聖書のこの箇所におけるロゴスの意味の探究を深めていくことになります。
ゲーテ『ファウスト』の該当箇所における詳細な話の流れについては、「ゲーテ『ファウスト』におけるロゴスの翻訳の場面の対訳と全文和訳とドイツ語の発音」の記事で書きましたが、
そうしたロゴスという概念の吟味を通じて、ファウストは、次に、
「はじめに意思(Sinn)があった」、そして、「はじめに力(Kraft)があった」という二つの訳し方を矢継ぎ早に示したうえで、
最終的に、
「はじめに業(わざ、Tat)があった」と訳すことが最も適切であるという彼なりの結論へと行き着くことによって、
新約聖書の原典に記されたロゴス(logos)という一つの言葉にふさわしい訳のあり方をめぐるファウストの思索の場面は幕切れを迎えることになるのです。
・・・
以上のように、
ドイツの詩人ゲーテが自らの一生をかけて完成させた大作である長編戯曲『ファウスト』において、メフィストフェレスとの遭遇を前に、主人公であるファウストが一人自分の書斎で思索に耽る場面が描かれることになります。
そして、この書斎のシーンにおいては、
新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭部分のギリシア語原典にある「はじめにロゴスがあった」という記述における古代ギリシア語のロゴスという単語は、
ファウスト自身の手によるドイツ語訳の試みの中で、
Wort(ヴォルト、言葉)
Sinn(ズィン、意味、心、意思)
Kraft(クラフト、力)
Tat(タート、業(わざ))
という四つの異なる言葉によって順々に訳し直されていくことになります。
そして、
こうしたゲーテの『ファウスト』における聖書のロゴス解釈において、
古代ギリシアにおけるロゴスの概念は、「言葉」、「意思」、「力」そして「業」という四つの側面をあわせ持ちながら、
その主たる意味は、言葉がそれを語る者の意思の力によって現実の世界を創り上げるという「業」の概念の内にあるという結論に至ったと考えられることになるのです。
・・・
初回記事:ロゴスとは何か?①古代ギリシア哲学におけるロゴスの意味
前回記事:ルターによる聖書のドイツ語訳におけるロゴスの翻訳と宗教改革、ロゴスとは何か?③
関連記事:ゲーテ『ファウスト』におけるロゴスの翻訳の場面の全文和訳と対訳およびドイツ語の発音、ゲーテ『ファウスト』の和訳①
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