ソクラテスの師とは誰か?アルケラオスとアナクサゴラスの自然哲学とソクラテスの人倫の哲学
哲学史においてソクラテスの弟子とされる人物というと、
プラトンを筆頭に、キュレネ学派の開祖アリスティッポス、キュニコス学派の開祖アンティステネス、メガラ学派の開祖エウクレイデスといったそうそうたる人物の名が並ぶことになりますが、
それでは、それとは反対に、
ソクラテスの師とされる人物には、どのような人の名が挙げられることになるのでしょうか?
自然哲学者アルケラオスと『ギリシア哲学者列伝』における伝承
紀元後3世紀前半の古代ローマ時代になってから編纂された著作であるディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』における伝承では、
ソクラテスの師は、アルケラオスという名の自然哲学者であったとされています。
アルケラオス(Archelaos)は、
ソクラテスと同じアテナイ出身の哲学者であり、
彼は、当時、イオニア地方からアテナイへと移り住んでいたアナクサゴラスの弟子であったともされているように、イオニア学派の自然哲学の系統に属する哲学者ということになります。
そして、
アルケラオスは、師であるアナクサゴラスに倣って、世界は濃縮された暗い空気のような原初的な混合状態からの分離によって形成されると考えると共に、
当時、アテナイの社会を席巻していたもう一つの思想運動であるソフィスト思潮からの影響も受けつつ、
道徳や法律は、自然(ピュシス)に由来するものではなく、慣習(ノモス)によって作り上げられた人為的で可変的な秩序であるに過ぎないと主張した哲学者であったともされています。
こうした一連の伝承を伝えているディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』は、300冊以上の書物の集大成として編纂されたとも言われているように、膨大な量の資料研究に基づいた著作ではあるのですが、
その中に出てくる逸話は、資料としての正確さよりも、読者の興味を引くことを重視して集められた真偽の疑わしいものも多いので、
若き日のソクラテスと同時代にアテナイの町に暮らしていたアルケラオスやアナクサゴラスといった哲学者たちとソクラテスが実際に会って、彼らから直接教えを受けることがあったかどうかは必ずしも定かではないということになります。
しかし、
例えば、アルケラオスの師であるアナクサゴラスの著作については、それが流布本のような形で当時のアテナイの公共広場などで売られていた記録もあるなど、
少なくとも、彼らの自然哲学の思想は、ソフィストたちの思想と共に、紀元前5世紀のアテナイ社会の内に広く流布していたことは事実だったと考えられるので、
ソクラテスが彼らを直接の師としてその指導を受けていたとまでは言い切れないにしても、
ソクラテスが彼らの思想の影響を受けつつ、そうした思想を哲学的思考の一つの手本とすることによって、自分自身の哲学的探究の道を切り拓く礎としていったことはある程度確かだと考えられることになります。
ちなみに、
ソクラテスの師であるとされるアルケラオスの師アナクサゴラスは、思想面だけではなく、人生における生き様と死に様の点でも、ソクラテスのお手本とは言わないまでも、彼と似通った運命をたどることになっていて、
アナクサゴラスは、紀元前437年に、のちにソクラテスも同じ罪状で訴追されることになる不敬神の罪によって、追放の刑に処されることになります。
そして、
アナクサゴラスは、その後、二度とアテナイの地を踏むこともなく、およそ十年後の紀元前428年に、失意のうちに流刑地においてその生涯を閉じることになるのですが、
これは、ソクラテスが紀元前399年に毒杯をあおいで刑死するちょうど三十年ほど前の出来事ということになります。
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以上のように、
ソクラテスは、アナクサゴラスやアルケラオスといった、同時代のアテナイで暮らしていた先行する自然哲学者たちの思想から、普遍的真理を求める哲学的思考のあり方を学ぶと共に、
プロタゴラスやゴルギアスといったソフィストたちの弁論術にも触れることを通じて、対話と論駁によって自分と他者の知の吟味を行うという自らの哲学探究の手法を磨いていったと考えられることになります。
しかし、それと同時に、
ソクラテスは、そうした自然哲学における機械論的な自然観やソフィストたちの普遍的真理に対する懐疑主義や不可知論的な思考には満足せずに、
ソクラテス自身が求める真理の形である、人倫の哲学、すなわち、自然についてではなく、人間の魂について探究し、その善なる生き方を追求するという新たな哲学的探究の道を切り拓いていくことになっていったと考えられるのです。
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