デロス同盟の成立とアテナイの黄金時代:ギリシア最大の経済大国にして軍事大国となった海軍国家としてのアテナイの隆盛
前回までに書いてきたように、アケメネス朝ペルシアによるダレイオス1世とクセルクセス1世の2代にわたるギリシア世界への大規模な遠征としてのペルシア戦争は、
紀元前480年のサラミスの海戦と、その翌年に起きたプラタイアの戦いという海と陸の両方の決戦におけるペルシア軍の大敗によって幕を閉じることになるのですが、
その後、ギリシア世界においては、ペルシア軍が再び攻めて来ることに備えて、ギリシアの都市国家間における連携と結束がよりいっそう強く求められていくことになります。
サラミスの海戦の勝利による海軍国家としてのアテナイの隆盛
ペルシア戦争がはじまる以前の古代ギリシアにおいては、対外戦争におけるギリシア連合軍の指揮権は、ギリシア最強の陸軍国家であったスパルタが一手に担うことになっていたのですが、
ペルシア戦争におけるギリシア側の勝利を決定づけることになった海と陸の二つの戦いのうちの前者にあたるサラミスの海戦におけるアテナイ艦隊の活躍によって、
陸軍国家としてのスパルタと並んで、海軍国家としてのアテナイもギリシア連合軍を率いる二大強国のうちの一国として広く認められていくことになります。
そして、
こうしたアケメネス朝ペルシアによる最後のギリシア遠征を退けた当初のギリシア世界においては、ギリシア連合軍の司令官にはスパルタの将軍であるパウサニアスが就くことになるのですが、
その後、パウサニアスがペルシアへの密通の疑いをかけられることによって失脚すると、ギリシア連合艦隊の指揮権はスパルタからアテナイへと移っていくことになるのです。
アテナイを盟主とするデロス同盟の成立とデロス島での資金管理の仕組み
そして、その後、ギリシア連合艦隊を指揮する立場となったアテナイは、
エーゲ海の島々に位置するサモス、キオス、レスボスといった都市国家や、エーゲ海周辺に位置するイオニア地方やアイオリス地方に位置するギリシア諸都市を中心に海軍同盟を結ぶことを提唱することになり、
紀元前477年、ペルシア軍のギリシアへの再侵攻に備えてエーゲ海域を中心とするギリシア諸都市によって結ばれたアテナイを盟主とする軍事同盟であるデロス同盟が締結されることになります。
デロス同盟の本部は、アポロン神殿が建てられていた古代ギリシアの信仰の中心地の一つであり、この同盟の名前の由来ともなったエーゲ海の中央部に位置する島であるデロス島に置かれることになるのですが、
同盟に加盟することになったギリシア諸都市は、ペルシア軍のギリシアへの再遠征に備えることを名目として、
アテナイが指揮する連合艦隊に艦船と船員とを供出するか、その代わりに、貨幣や金を納めることが定められていました。
そして、
デロス同盟へと拠出された同盟諸都市の資金は、同盟の本部が置かれることになったデロス島のアポロン神殿に保管されることになっていたものの、
資金を管理する役人はデロス同盟の盟主であるアテナイから派遣されることになっていたため、
実質的な意味においてアテナイは、こうしたギリシア中の同盟諸都市からデロス同盟に拠出された莫大な資金を自由に使える立場にあったと考えられることになるのです。
ギリシア最大の経済大国にして軍事大国としてのアテナイの黄金時代
そして、
こうしたデロス同盟の資金を自らの裁量によって自由に使うことができるようになったアテナイは、
その資金を連合艦隊の維持と強化のためだけではなく、ペルシア軍が再び侵攻した時の防備のためと称して、アテナイの都市や港の防壁の建設費にも転用していき、さらには、都市の美観の整備や役人の給料などにまで流用していくことになります。
そして、その一方で、
アテナイ以外の同盟諸都市の側も、わざわざ軍船を建造して、いざという時には命を落とすかもしれない戦場に自国民を送り出すよりは、
資金だけを拠出してアテナイの艦隊に自国を守ってもらうことにした方が楽なので、自分では艦船と船員とを出せずに、分担金だけを払うことにする都市国家が徐々に増えていくことになります。
そして、こうして、
デロス同盟に加盟する諸都市のアテナイへの軍事的な依存がさらに高まっていくにつれて、同盟におけるアテナイの求心力もさらに増大していくことになり、
アテナイは自らの増大していく軍事力と発言権を背景に、同盟に参加する各都市に割り当てられている分担金の増額を求めることによって、さらに大きな富を手にしていくことになります。
このように、
デロス同盟の盟主となることによって、自らの経済力と軍事力を大きく増大させていくことになった海軍国家としてのアテナイは、
名実ともに、ギリシア世界を率いる最大の経済大国であると同時に軍事大国としても昇りつめていくことになります。
そして、その後のアテナイにおいては、
ギリシアの各地から多くの人々が集まり、商業や工業が大きく発達して学問や芸術も発展していくことによって、
ギリシアの三大悲劇作家として知られるアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、さらには、喜劇詩人として知られるアリストファネスといった傑出した詩人たちが次々に現れて古典ギリシア文化が花開いていく黄金時代が続いていくことになっていったと考えられることになるのです。