ドイツ語の早口言葉⑥ die die die Diebeの無限展開
ドイツ語のZungenbrecher(早口言葉)という複合名詞を、
そのまま逐語的に訳すと、
舌の破砕機・舌の破壊者という意味になってしまうというのは、このシリーズの初回で書いた通りですが、
今回は、舌を破砕するというよりは、文構造自体を壊してしまい、
文法崩壊、構造破綻を引き起こしてしまいそうな、複雑な文構造をもったドイツ語の早口言葉を考えて、
ドイツ語の早口言葉シリーズを締めくくりたいと思います。
まずは、
Die, die die Diebe gesehen haben, haben die, die die Diebe nicht gesehen haben, nicht gesehen.
という早口言葉です。
この早口言葉に使われている
一つ一つの単語は、単純で初歩的な単語なのですが、
それを組み合わせることで、非常に複雑で、読解しずらい文になっています。
ちなみに、dieというのはドイツ語の指示代名詞、関係代名詞、女性・複数冠詞なので、”die“という単語がずっと並んでいるからといって、
決して、英語でdie! die! die!と言っているわけではありませんのであしからず。
“Die die die Diebe”の早口言葉の発音・アクセントと文節ごとの和訳
それでは、まずは、この早口言葉の発音とアクセントを記しておきます。
Die, die die Diebe gesehen haben,
ディー ディー ディー ディーベ ゲゼーエン ハーベン
haben die, die die Diebe nicht gesehen haben,
ハーベン ディー ディー ディー ディーベ ニヒトゥ ゲゼーエン ハーベン
nicht gesehen.
ニヒトゥ ゲゼーエン
発音は、ディーの回数だけ間違えなければ、そんなに難しくはなさそうですね。
次に、ドイツ語の下に文節ごとに和訳を入れてみます。
※ただし、関係代名詞のdieは、その前方の(性と格が一致する)名詞に後続する文がかかっていることを示す記号であり、逐語的には訳せないので、単に“(関係代名詞)”と記しました。
Die, die die Diebe gesehen haben,
その人々は (関係代名詞) 泥棒たちを 見た
haben die, die die Diebe nicht gesehen haben,
た 人々を (関係代名詞) 泥棒たちを 見なかった
nicht gesehen.
見なかっ
となります。
さて、この一見バラバラの単語のブロックは、いったいどのように組み合わさって、ちゃんとした一つの文になっているのでしょうか?
“Die die die Diebe”の文法的構造
問題のこの早口言葉の文構造はどうなっているのかということですが、
それでは、この早口言葉の
文法的構造を以下に、図解していきましょう。
※ただし、主格=主語、対格=目的語という意味で、
亀甲カッコ〔 〕は、〔 〕内の品詞が全体として一つの名詞節セットを形成していることを示しています。
Die, die die Diebe gesehen haben,
その人々は 泥棒たちを 見た
主格(指示代名詞)←〔主格 対格 動詞〕
関係代名詞
haben die, die die Diebe nicht gesehen haben,
た 人々を 泥棒たちを 見なかった
助動詞 対格(指示代名詞)←〔主格 対格 副詞 動詞〕
関係代名詞
nicht gesehen.
見なかっ
副詞 動詞(過去分詞)
という文構造になっています。
そして、全体を訳すと、
「泥棒たちを見た人々は、泥棒たちを見なかった人々を見なかった。」
となります。
この早口言葉の文構造では、まず、
“Die haben die nicht gesehen.”(その人々はその人々を見なかった。)
主格 助動詞 対格 動詞(過去分詞)
という基本文があり、
この基本文中の、
主格のDieに、〔die die Diebe gesehen haben〕(泥棒たちを見た人々)
そして、
対格のdieに、〔die die Diebe nicht gesehen haben,〕(泥棒たちを見なかった人々)
という関係代名詞ではじまる説明文がくっついて、
全体の、
Die,〔die die Diebe gesehen haben,〕haben die,〔die die Diebe nicht gesehen haben,〕nicht gesehen.
という文が形成されています。
言わば、基本文の間に名詞節が入れ込まれた、文法的な入れ子構造になっている、というわけです。
die die die Diebeの無限展開
文法的にきれいな対称性をもった入れ子構造になっているということは、
逆に言えば、
その外側に、同様の構造をもった文構造をつけ足せば、
もう一段階複雑な入れ子構造の文をつくることができ、
さらにもう一段、もう一段と、外側の適切な位置に同様の文構造を付け足していくことで、文構造を無限に展開していくことができるということになります。
せっかくなので、実際にやってみましょう。
まずは、文構造の対称性を維持するために、
元の文の逆の意味のことを言っている文をつくってみます。
元の文は、
Die, die die Diebe gesehen haben, haben die, die die Diebe nicht gesehen haben, nicht gesehen.=文①
(泥棒たちを見た人々は、泥棒たちを見なかった人々を見なかった。)
※分かりやすいように、基本文の“Die haben die nicht gesehen.”の部分を太字で表記しています。
なので、これの
逆のことを言っている文は、例えば、
Die, die die Diebe nicht gesehen haben, haben die, die die Diebe gesehen haben, nicht gesehen.=文②
(泥棒たちを見なかった人々は、泥棒たちを見た人々を見なかった。)
となります。
そしてさらに、
文①を関係代名詞節に直して語順を入れ替えると、
〔die, die die Diebe gesehen haben, die, die die Diebe nicht gesehen haben,
nicht gesehen haben.〕=文①’
(泥棒たちを見た、泥棒たちを見なかった人々を見なかった人々)
同様に、
文②を関係代名詞節に直して語順を入れ替えると、
〔die, die die Diebe nicht gesehen haben, die, die die Diebe gesehen haben,
nicht gesehen haben.〕=文②’
(泥棒たちを見なかった、泥棒たちを見た人々を見なかった人々)
となります。
次に、
この2つの文の上の階層に、新たな基本文
“Die haben die nicht gesehen.”(その人々はその人々を見なかった。)
主格 助動詞 対格 動詞(過去分詞)
を乗っけて、この新たな基本文の、
主格のDieに先ほどの関係代名詞節にした文①’ を、
対格のdieに先ほどの関係代名詞節にした文②’ をくっつければ、
文の量が約2倍になり、文の入れ子構造の階層が一段階増えた、次のような、
新たなZungenbrecher(早口言葉)ができあがります。
※ただし、読解しやすいように、新しく付け足した基本文の部分を黒太字に、
上記の文①にあたる関係代名詞節の部分を赤字に、
上記の文②にあたる関係代名詞節の部分を青字にしてあります。
Die, die, die die Diebe gesehen haben, die, die die Diebe nicht gesehen haben, nicht gesehen haben, haben die, die, die die Diebe nicht gesehen haben, die, die die Diebe gesehen haben, nicht gesehen haben, nicht gesehen.
そして、この新しくつくった早口言葉を訳すと、
「泥棒たちを見たが、泥棒たちを見なかった人々は見なかった人々は、
泥棒たちを見なかったし、泥棒たちを見た人々も見なかった人々を見なかった。」
となります。
文の入れ子構造に注目して、
関係代名詞ではじまる名詞節の部分を亀甲カッコ〔 〕で示すと、
はじめの早口言葉の文は、
Die,〔die die Diebe gesehen haben,〕haben die,〔die die Diebe nicht gesehen haben,〕nicht gesehen.
となるのに対して、
新しくつくった早口言葉は、
Die,〔die,〔die die Diebe gesehen haben,〕die,〔die die Diebe nicht gesehen haben,〕nicht gesehen haben,〕haben die,〔die,〔die die Diebe nicht gesehen haben,〕die,〔die die Diebe gesehen haben,〕nicht gesehen haben,〕nicht gesehen.
となり、さらに、
基本文と関係代名詞ではじまる名詞節の亀甲カッコ〔 〕の部分だけを抜き出すと、
はじめの早口言葉は、
Die,〔…,〕haben die,〔…,〕nicht gesehen.
新しくつくった早口言葉は、
Die,〔…,〔…〕…,〔…,〕…,〕haben die,〔…,〔…,〕…,〔…,〕…,〕nicht gesehen.
という構造になっています。
この形式化した文構造を見ればわかる通り、
はじめの文では、基本文の間に入れ込まれていた名詞節の亀甲カッコは、
〔…〕と一重なのに対して、
新しくつくった文では、〔〔…〕〔…〕〕という二重の亀甲カッコになっていて、
はじめの早口言葉では、基本文と一重の名詞節の二段階の入れ子構造だった文が、
新しい早口言葉では、名詞節の入れ子構造が一段階増え、
基本文と二重の名詞節という3段の入れ子構造の文に進化していることが分かります。
以上のように、ドイツ語文法では、
マトリョーシカみたいに、上にまとう文構造をどんどん増やしていくことで、
文構造を無限増殖させ、どこまでも複雑で長大化した文をつくっていくことが可能になるということです。
このような早口言葉、ましてや、わざわざ文構造をもっと複雑にするために新しくつくった早口言葉では、
指示代名詞や関係代名詞が複雑に入り組んでいて、それぞれの単語の文法的関係が分かりにくく、非常に読みにくいので、
こうした文は、難解で読みにくい文、
いわゆる悪文ということになってしまうでしょう。
(はじめの早口言葉でもdieが6個、新しくつくった早口言葉では、なんとdieが
14個も入ってます!)
しかし、作ろうと思えば、このようなパズルのように複雑な構造の文章でもつくることができ、
論理的な文法構造を積み重ねていくことで、
好きなだけ複雑な構造をもった長文をいくらでも作れてしまうところに、
ドイツ語文法の醍醐味があるように思います。
・・・
このシリーズの前回記事:
「ドイツ語の早口言葉⑤ちょっと哲学的な早口言葉、スピノザの真理論」
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