ドイツ語の早口言葉⑤ちょっと哲学的な早口言葉、スピノザの真理論

今回は、厳格で論理的、ちょっと小難しくて理屈っぽいところがドイツ語のイメージにぴったりな感じのZungenbrecher早口言葉)を紹介したいと思います。

Denke nie gedacht zu haben,
denn das Denken der Gedanken ist gedankenloses Denken.
Wenn du denkst, du denkst,
dann denkst du nur du denkst,
aber denken tust du nie.

という早口言葉です。

ドイツ語の下に発音アクセントをつけると以下のようになります。

Denke nie  gedacht  zu  haben,
ンケ ー / ゲハトゥ ー ーベン /

denn das  Denken  der  Gedanken  ist
ン ス ンケン / ア ゲンケン /ストゥ /

gedankenloses   Denken.
ンケンローゼス ンケン

Wenn  du   denkst,    du   denkst,
ェン ドゥー ンクストゥ / ドゥー ンクストゥ /

dann  denkst   du   nur  du   denkst,
ン ンクストゥ ドゥー / ア ドゥー ンクストゥ /

aber  denken   tust    du   nie.
バー ンケン トゥストゥ ドゥー 

次に、ドイツ語の下に文節ごとの和訳を入れてみます。

Denke   nie    gedacht zu haben,
考えろ 決して~ない   考えたことを

denn  das Denken  der Gedanken  ist
なぜなら   考え     思考の     は

gedankenloses  Denken.
思慮のない     考え

Wenn    du  denkst,  du  denkst,
~するとき 君が   考える  君が 考えることを

dann   denkst  du   nur    du  denkst,
そのとき  考える 君が ただ~だけ  君が 考えることを

aber  denken  tust  du  nie.
しかし  考える  する 君が 決して~ない

これくらい込み入った文章になってくると、文法的構造を無視して単語の意味だけ書き入れても、何を言っているのかほとんど分かりませんね。

それでは次に、文法的注釈をつけてこの早口言葉の文構造を見ていきましょう。

ただし、主格=主語対格=目的語属格=所有・所属関係という意味で、
亀甲カッコ〔 〕は、〔 〕内の品詞が全体として一つの名詞句セットを形成していることを示しています。
なお、を記したところについては、このあとの本文中で、少し文法的説明をしています。

Denke     nie    gedacht zu haben,
考えろ   決して~ない    考えたことを
動詞(命令形) 副詞    〔過去分詞+zu不定詞
対格

denn  das Denken der Gedanken  ist  gedankenloses Denken.
なぜなら  考え    思考の       は    思慮のない   考え
接続詞   主格   ←属格      be動詞    形容詞→   名詞

Wenn    du  denkst,  du  denkst,
~するとき  君が  考える  君が 考えることを
接続詞    主格  動詞   〔主格 + 動詞〕
対格

dann   denkst  du   nur    du  denkst,
そのとき   考える 君が ただ~だけ   君が 考える
副詞     動詞  主格   副詞   〔主格 + 動詞〕
対格
aber    denken   tust     du   nie.
しかし    考える    する    君が 決して~ない
接続詞 動詞(不定詞)+助動詞的用法 主格  副詞

一行目の文の文構造の表記中に、zu不定詞とあるのは、
英語で言うto不定詞にあたる用法です。

ここでは、“gedacht zu haben”となっていて、
完了の助動詞habenと、動詞denken(考える)の過去分詞形gedachtが一緒に用いられて、全体で一つの名詞句を形成しているので、

ここでの用法は、正確には、
zu不定詞完了形の名詞的用法ということになります。

また、最後の文の文構造の表記中に、助動詞的用法とありますが、
少し、文法的に込み入ったことに言及すると、

tustは、動詞tun(する)の二人称単数形ですが、

動詞tunには、他の動詞の不定詞と共に用いられて助動詞的な働きをして、
一緒に使われている動詞の意味を強めて~するという意味になる用法があります。
(例えば、“Singen tust du gern.”で、「君は歌うのが大好き」という意味になります。(singenは動詞singen(歌う)の不定詞形))

なので、ここでは、その意味でとれば文の意味が通じると思われます。

またこの用法の場合、動詞の不定詞は文頭に置かれることが多いので、この文では、
接続詞aberの次の文頭に不定詞denkenが置かれていると考えられます。

この文章全体を直訳すると、

「考えたことを決して考えるな。なぜなら、思考の考えは、思慮のない考えだから。
君が考えることを君が考えるとき、そのとき君は、君が考えることだけを考えるが、
君は決して考えない」

となります。

なんだか、禅問答みたいですね。

これでは、まだ少し意味が通りにくいので、
意訳してみると、このようになります。

「考えたということは決して考えるな。
なぜなら、考えたことの考えは、考えなしの考えだから。

君が自分が考えていると、考えているとき、
君は、自分が考えているということしか考えていない。
そして、そのとき君は、本当の意味では、決して考えてなどいないのだ。」

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哲学的な深淵か、それとも単なる言葉遊びの戯れか?

このZungenbrecher早口言葉)は、「考えたことを考える」「考えることを考える」などと、ひたすら、考えDenken)、考えDenkenと同じ単語を無意味に繰り返しているようにも見えるので、

一見すると、空虚な文のようでもありますが、

よく読んでみると、
何か論理的に深いことを言っているようでもあります。

何かについて考えているとき、
その考えについてさらに考えると言えば、

考えの考えの考え…というように、
考えている内容をいくらでも複製して、引き伸ばしていくことができる。

でも、そうした、複製され、引き伸ばされただけの考えは、空疎で、
そこに実質的な意味は何もない。

複製されて引き伸ばされた考えの元をたどっていくと、
マトリョーシカみたいに、最後の中心に残った一つを除いて、
あとは全部空っぽで中身がない

本当に中身をもって考えていたのは、はじめの考えだけなのではないか?

だとすると、あとの「考えの考え」とか、
そのまたさらに「考えの考えの考え」だとかを考えているときには、
いったい何をしていたってことになるんだろう?

というか、

そもそも、考えるってどういうことなんだろう?

そんな、深淵なる哲学への扉を開く、入り口のようなところも垣間見えたりするので、
個人的には一番お気に入りのZungenbrecher早口言葉)だったりします。

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ペテロの観念の観念の観念?

ここからは早口言葉の読解とは関係ない方向に話が飛んでいきますが、

せっかくなので、さらに、
真面目に、それこそ哲学的に、この文章の意味を考えてみます。

考えたことの考えdas Denken der Gedanken)、つまり、考えの考え
ということについては、

オランダの哲学者スピノザが、徹底的に論理だけを駆使して、
小難しくも、人によってはちょっと面白いと感じるかもしれないようなことを考えています。

スピノザはその著作『知性改善論』で、
哲学的真理を得るための方法を考えていくなかで、

ペテロという実在する人物は観念の対象となるが、
ペテロの観念というのも、他の観念の対象となり、
ペテロの観念の観念も、さらに他の観念の対象となる、
というように、無限に進んでいく

といったことを書いています。

つまり、

ペテロを知るために、ペテロについての観念を知ることが必要だとすると、

そのペテロについての観念を知るために、
ペテロについての観念の観念、考えの考えがさらに必要となり、

さらに、
ペテロの観念の観念の観念、考えの考えの考えも必要となる、というように、
無限に展開していってしまって、この探究には際限がないということです。

そして、そのうえでスピノザは、

「確かなことは、ペテロの本質を理解するためにはペテロの観念そのものを理解する必要がないこと、ましてペテロの観念の観念を理解する必要はなおさらないということである。

これは私が、知るためには知っていることを知る必要がなく
まして知っていることを知っているということを知る必要はなおさらない
というのと同じである。…

むしろこれらの観念における事情は逆である。

なぜなら、私が知っていることを知るためには、必然的にまず知らなければならないのであるから。」

と述べ、

真理であることが確かになるためには、真の観念を持つこと以外何ら他の標識を必要としないということが明らかである。」

と結論づけています。

そして、そこから、
真理はそれ自体で明証的いかなる人も疑い得ない、直接的で確実な認識)であり、

真理を証明するためには、
実験や観察などの経験的知識は何も必要なく
ただ、真理に対する明証的な直観と、その直観知に基づく論理的思考だけがあればいい、

という、スピノザ独特の、直観と徹底的な論理のみに基づく真理論を展開していきます。

さらに言うと、その出発点となる、真の観念明証的な直観知というのが、
デカルトcogitoコギト

すなわち、
cogito ergo sum”(コギト・エルゴ・スム、「我思う、ゆえに、我在り」)
という表現で有名な、

自分を含めた世界のすべての存在を疑っていっても、
そのように疑っていると考えている、
意識・精神としての自分の存在自体は疑い得ない
という明証的な直観にあるのです。

以上のように、かなり飛躍してしまったところはあるとはいえ、
考えたことの考えdas Denken der Gedanken)」という、
一見、無意味で空虚な言葉の繰り返しに見えるこの早口言葉も、

その文章が示している問いに真剣に向き合うと、
スピノザやデカルトの哲学へとつながっていくような道筋、あるいは、
一つの契機として考えることもできるということです。

・典拠
http://www.uebersetzung.at/twister/de.htm(リンク切れ)
(ドイツ語原文のZungenbrecher(早口言葉)の参照元)

『知性改善論』スピノザ著、畠中尚志訳、岩波出版。

・・・

このシリーズの前回記事:
ドイツ語の早口言葉④ ドイツ版「東京特許許可局」と複合名詞

このシリーズの次回記事:
ドイツ語の早口言葉⑥ die die die Diebeの無限展開

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