ユダの裏切りの場面で現れる霊的な存在としてのサタンと使徒ペテロへのイエスの教えの中で語られる比喩や象徴としてのサタン、サタン(悪魔)とは何か?⑤
前回の記事で書いたように、四福音書と呼ばれる新約聖書の書物のなかで語られている様々なエピソードのなかでも、イエスが荒野においてサタンからの三つの試練を受ける場面が描かれている「荒野の誘惑」と呼ばれる新約聖書の有名な箇所においては、、
人間の心を惑わして悪の道へと導いていく邪悪な存在に対する呼び名として、悪魔、誘惑する者、サタンという三つの呼び名が示されていると考えられることになるのですが、
新約聖書の四福音書において、こうしたサタンや悪魔と呼ばれる存在についての具体的な言及がなされている代表的な場面としては、
その他にも、例えば、以下で示すようなマタイによる福音書とルカによる福音書における記述を挙げていくことができると考えられることになります。
イエスの十字架の死の予言を否定する使徒ペテロへと向けられた言葉のなかで語られる人間の弱き心や悪しき心に対する比喩や象徴としてのサタン
そうすると、まず、
「荒野の誘惑」におけるサタンの三つの試練を退けて、神の教えを伝える宣教活動を開始していったイエスは、その後、「山上の垂訓」や「パンと魚の奇跡」、「ラザロの復活」などといった様々な教えと奇跡を世の人々へと示していくなかで、
以下で示すようなマタイによる福音書における記述などにおいて示されているように、やがて訪れることになる自らの十字架の死についての予言を弟子たちに語り始めていくことになります。
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このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
(新約聖書「マタイによる福音書」16章21節~25節)
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そして、上記のマタイによる福音書の場面においては、
かつて、「荒野の誘惑」の場面において神の子として世の人々に自らの教えを伝えていく道を歩んでいこうとするイエスを妨害しようと試みたサタンに対して向けて「退け、サタン」という言葉を発した時と同じように、
イエスは、主なる神によって定められた運命に逆らってその計画を妨害しようとする使徒ペテロに対して、「サタン、引き下がれ」という厳しい言葉を発しているのですが、
こうした場面においては、サタンという言葉は、神や天使にも比肩するような超常的な力を持った邪悪な性質を持つ何らかの実体的な存在に対して用いられているわけではなく、
それは、むしろ、
人間の心の片隅に巣食って神の御業が計画の通りに行われることを恐れてそれを妨げようとする人間の弱き心や悪しき心に対する比喩や象徴のようなものとして、こうしたサタンという言葉が用いられていると考えられることになるのです。
「ユダの裏切り」の場面において語られている人間を悪しき道へと引き入れていく霊的な存在としてのサタン
そして、その後、
エルサレムへと入ったイエスは、かつて自らが予言したように、自らの弟子の一人であるイスカリオテのユダによって裏切られ、ユダは銀貨三十枚を受け取る代わりにイエスをユダヤ人の祭司長たちのもとへと引き渡すという契約を結んでしまうことになるのですが、
そうした「ユダの裏切り」の場面は、ルカによる福音書においては、以下のような形で語られていくことになります。
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さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。
しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。
彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
(新約聖書「ルカによる福音書」22章1節~6節)
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このように、上記のルカによる福音書における記述においては、
悪魔やサタンと呼ばれる存在は、銀貨を得ることと引き換えに自らの師であるイエスを裏切って敵の手に引き渡してしまおうとするユダ自身の悪しき心、
あるいは、魔が差したなどと言われるように、ユダにそうした悪しき振る舞いをするように仕向けた何らかの霊的な存在として位置づけられていると考えられることになります。
そして、以上のように、
こうしたマタイによる福音書やルカによる福音書といった四福音書においてサタンや悪魔と呼ばれる存在についての言及がなされている場面では、その大部分の箇所において、
人間を悪しき道へと引き入れていく実体を持たない霊的な存在、あるいは、そうした邪悪な性質を持った人間の悪しき心に対する比喩的な表現として、
こうした悪魔やサタンといった言葉が用いられると解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:新約聖書の四福音書におけるサタンの五つの呼び名とルカによる福音書における堕天使としてのサタンの位置づけ、サタン(悪魔)とは何か?⑥
前回記事:新約聖書のマタイによる福音書におけるサタンに対する三つの呼び名とは?サタン(悪魔)とは何か?④
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