日本国内におけるO157を病原菌とする食中毒事件の歴史とは?1990年から2017年までの代表的な事例、O157の病原体史①
食中毒を引き起こす原因となる主要な15種類の病原菌を挙げたうえで、そのうちの一つの病原菌の種族である病原性大腸菌に分類される
腸管病原性大腸菌、腸管侵入性大腸菌、毒素原性大腸菌、腸管出血性大腸菌、腸管凝集性大腸菌と呼ばれる五つの細菌の種族の具体的な特徴について詳しく考察し、
さらに、そうした病原性大腸菌の種族のなかでも急性腎不全や溶血性貧血や血小板減少症といったより重篤な全身症状を引き起こす危険性のある最も危険な細菌の種族として位置づけられる腸管出血性大腸菌に分類される
O26、O103、O104、O111、O121、O145、O157という代表的な七種類の腸管出血性大腸菌のタイプについても詳しく考察してきましたが、
今回の記事では、
そうした腸管出血性大腸菌による感染症の原因のおよそ80%を占めるO157と呼ばれる腸管出血性大腸菌の種族が日本国内において今までに具体的などのような食中毒事件や集団感染を発生させてきたのか?という
日本国内におけるO157の病原体としての歴史についてより詳しく考察していきたいと思います。
1990年の埼玉県浦和市の幼稚園におけるO157を原因とする集団食中毒
まず、そもそも、
こうしたO157と呼ばれる病原性大腸菌のタイプが集団食中毒などの原因となる病原菌として認知されるようになったのは、
1982 年にアメリカでハンバーガーを原因とする食中毒からO157という血清型のタイプを持った細菌が検出されたのが最初であると考えられることになります。
そして、その後、
日本国内においてこうしたO157と呼ばれる血清型のタイプを持った腸管出血性大腸菌が死者を出すような大規模な集団食中毒の原因となる細菌としてはじめて有名になったのは1990年のことであったと考えられることになります。
そして、こうした
1990年に埼玉県浦和市の幼稚園において発生したO157を原因とする集団食中毒においては、
園内の飲料水として利用されていた消毒設備のない井戸の井戸水に含まれていたO157が幼稚園の園児を中心に感染を広げていくことによって、319人の感染者と2人の死亡者を出してしまうことになるのです。
1996年の岡山県と大阪府におけるO157を原因とする二つの集団食中毒の発生
そして、
こうしたO157によって引き起こされた集団食中毒が日本国内において最も多くの感染者を出したのは、その後の1996年のことであったと考えられ、
1996年5月、まずは、岡山県の邑久郡(おくぐん)の小学校給食においてO157を原因とする集団食中毒が発生して、小学生を中心に468人の感染者と2人の死亡者が出てしまうことになります。
そして、そのおよそ2か月後には、O157を病原菌とするより大規模な集団感染が発生してしまうことになり、詳しくは前回の記事でも書いたように、
1996年7月、大阪府堺市の小学校給食から発生したO157を原因とする集団食中毒においては、小学生を中心に9492人におよぶ多数の感染者と3人の死者を出してしまうことになり、
こうした1996年の大阪府における1万人近くもの感染者数を出した集団食中毒の発生が、現在までの日本国内におけるO157の最も大規模な集団感染の事例として位置づけられることになると考えられることになるのです。
2000年代におけるO157を中心とする腸管出血性大腸菌による大規模な集団食中毒の具体例
そして、その後、
2000年代に入ってからも、こうしたO157を原因とする集団食中毒事件の発生は断続的な形で見られていくことになり、
具体的には、
2000年に埼玉県の老人保健施設において提供されたかぶの浅漬けを介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、7人の感染者と3人死亡者が発生し、
2002年に宇都宮の老人保健施設において提供された昼食の和え物を介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、123人の感染者と9人死亡者が発生し、
2003年に長野県上田市において老人を対象とした配食サービスを介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、5人の感染者と1人死亡者が発生しています。
また、その他にも、近年においては、
これは原因となる大腸菌のタイプがO111という別のタイプの事例ではあるものの、
2011年に富山県と福井県と神奈川県の三県にまたがる同じ系列の焼き肉店において提供された牛肉の生肉を用いた韓国料理であるユッケを介して感染が広がったO111による集団食中毒においては、181人の感染者と5人の死者が発生し、
病原菌のタイプをO157だけに限定した場合では、
2012年に北海道札幌市の高齢者施設において提供された白菜の浅漬けを介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、死者こそ発生しなかったものの169人もの感染者を出してしまうという大規模な集団感染の事例が発生しています。
そして、その後、
2014年に静岡市で行われた花火大会の露店で売られていたきゅうりの浅漬けを介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、やはり、死者こそ発生しなかったものの510人もの感染者を出してしまうという2000年代に入ってからは最悪のO157の集団感染による被害が発生してしまうことになり、
直近の事例にあたる
2017年の群馬県と埼玉県の両県にまたがる同じ系列の惣菜店において提供されたポテトサラダなど惣菜を介して感染が広がったO157を原因とする集団食中毒においては、24人の感染者と 1人の死亡者が発生しています。
・・・
以上のように、
こうした腸管出血性大腸菌O157を主な病原菌とする死者が発生するような日本国内における大規模で重大な集団食中毒の発生の事例について時系列順に並べていくと、
代表的なものとしては、
1990年の埼玉県浦和市の幼稚園におけるO157を原因とする集団食中毒
(感染者319人、死者2人)
1996年5月の岡山県邑久郡の小学校給食におけるO157を原因とする集団食中毒
(感染者468人、死者2人)
1996年7月の大阪府堺市の小学校給食におけるO157を原因とする集団食中毒
(感染者9492人、死者3人)
2000年の埼玉県の老人保健施設におけるかぶの浅漬けを介したO157の集団食中毒
(感染者7人、死者3人)
2002年の宇都宮の老人保健施設における昼食の和え物を介したO157の集団食中毒
(感染者123人、死者9人)
2003年の長野県上田市における配食サービスを介したO157の集団食中毒
(感染者5人、死者1人)
2011年の富山県と福井県と神奈川県の同じ系列の焼き肉店における牛肉の生肉を用いたユッケを介したO111の集団食中毒
(感染者181人、死者5人)
2012年の北海道の高齢者施設における白菜の浅漬けを介したO157の集団食中毒
(感染者169人、死者0人)
2014年の静岡市の花火大会におけるきゅうりの浅漬けを介したO157の集団食中毒
(感染者510人、死者0人)
2017年の群馬県と埼玉県の同じ系列の惣菜店におけるポテトサラダなど惣菜を介したO157の集団食中毒
(感染者24人、死者1人)
といったO157を病原菌とする9件の集団食中毒と、O111を病原菌とする1件の集団食中毒の事例を合わせた
全部で10件の日本国内における腸管出血性大腸菌を原因とする代表的な集団食中毒の事例を挙げることができると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:世界におけるO157を病原菌とする食中毒事件の歴史とは?アメリカとヨーロッパにおける代表的な事例、O157の病原体史②
前回記事:腸管出血性大腸菌に分類される代表的な七つの細菌の種類とは?②O111とO157による集団食中毒の具体例と後遺症の問題
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