知性とは何か?④アリストテレス哲学における論証を超えた知のあり方としての能動知性の存在の位置づけ

前回の記事で書いたように、ソクラテス以前の哲学者として位置づけられる紀元前6世紀の古代ギリシアの哲学者であるピタゴラスヘラクレイトスの哲学思想においては、

ヌースとしての知性の存在は、宇宙全体の秩序を司る根源的な原理のことを意味する概念として位置づけられていると考えられることになります。

そして、

こうした世界全体の存在の究極の原理となるような働きを担う知のあり方としての知性の存在は、

紀元前4世紀の古代ギリシアアテナイの哲学者であるアリストテレスの哲学体系の内において、

不動の動者あるいは第一原因としての神における知のあり方へと通じる知のあり方として新たな形で捉え直されていくことになるのです。

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アリストテレス哲学における論証的な知のあり方と直観的な知のあり方との区別

まず、

アリストテレスの哲学の認識論の議論においては、

人間の心における知的な働きのあり方には、理性に基づく演繹的推論によって導かれる論証や論理的な思考としての普遍的な知のあり方のほかに、

感覚や知覚に基づく個別的な経験に基づいてそれらに共通する法則や原理を導き出していく帰納的推論としての知の存在のあり方も示されていくことになります。

そして、

こうした人間における二つの知のあり方のうちの後者である帰納的推論のもととなる感覚や知覚に基づく知のあり方は、

それが論理的な推論を経ることなく感覚や知覚に基づいて直観的に把握される知のあり方であるという意味において、

演繹的推論を中心とする論理的な思考に基づく知のあり方としての理性の働きからは区別されたうえで、

そうした知のあり方は、人間の心における知性の働きの一つとして位置づけられていくことになるのです。

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論証を超えた知のあり方としての能動知性の存在と第一原因としての神における知のあり方

しかし、その一方で、

アリストテレスの認識論においては、

こうした外界における様々な事物から与えられる感覚や知覚に基づく受動的な知のあり方だけが知性の働きとして位置づけられているわけではなく、

そうした身体的な感覚に依存せずに、それ自体として存在する能動的な知のあり方知性と呼ばれる知の働きの内に位置づけられていくことになります。

そして、

そうした人間の知性における知覚や感覚といった感性的な認識作用に基づく受動的な知のあり方が作用を受ける知性すなわち受動知性(可能知性)と呼ばれる知性のあり方として捉えられていくことになるのに対して、

身体的な感覚に依存せずにそれ自体として存在する知的直観と呼ばれるような論理的推論に基づかない能動的な知のあり方は作用する知性すなわち能動知性と呼ばれる知性のあり方として捉えられていくことになります。

そして、さらに、

そうした能動知性としての知性の存在のあり方は、

それが他のいかなる存在からの作用も受けずに、自らの存在が他のあらゆる知の存在のあり方の究極の根拠となる存在として位置づけられることになるという意味において、

それは不動の動者あるいは第一動者と呼ばれるような世界の存在における第一原因としての神の存在における知のあり方へも通じる知性の存在のあり方としても捉えられていくことになるのです。

・・・

以上のように、

こうしたアリストテレス哲学体系の内における認識論の議論においては、

人間の心における知性の働きのあり方には、

感覚や知覚に基づく受動的な知のあり方である受動知性と、そうした身体的な感覚にも論理的推論にも基づかずに対象そのもの本質を直観的に把握していく能動的な知のあり方である能動知性と呼ばれる二つの知のあり方が存在するということが明らかにされていくことになり、

こうした二つの知性の働きのあり方のうちの後者である能動知性の存在は、

それが身体的な感覚に基づく知のあり方も、論証的な知のあり方も超えた知のあり方をしているという意味において、

アリストテレスの哲学において不動の動者第一動者として位置づけられている神における知のあり方へと通じる知性の存在のあり方として捉えられていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:知性とは何か?⑤イブン・シーナーとイブン・ルシュドのアリストテレス解釈に基づく知性単一説の議論

前回記事:知性とは何か?③アナクサゴラスの哲学思想における宇宙全体の秩序を司る根源的な原理としてのヌース(知性)の位置づけ

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