知性とは何か?⑤イブン・シーナーとイブン・ルシュドのアリストテレス解釈に基づく知性単一説の議論

前回の記事で書いたように、紀元前4世紀の古代ギリシアアテナイの哲学者であるアリストテレスの哲学体系の内においては、

人間の心における知性の働きのあり方には、感覚や知覚に基づく受動知性(可能知性)と、身体的な感覚にも論理的推論にも依存せずに対象そのものの本質を直観的に把握していく能動知性と呼ばれる二つの知のあり方へと区分されていく形で捉えられていくことになるのですが、

こうした古代ギリシアにおけるアリストテレスの哲学理論中世ヨーロッパのスコラ哲学へと導入していく役割を担ったイブン・シーナーイブン・ルシュドといった

イスラム圏の哲学者たちの哲学思想においては、

こうしたアリストテレス哲学の能動知性の概念に由来する知性の存在の捉え方に関する新たな洞察が示されていくことになると考えられることになります。

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イブン・シーナー(アヴィケンナ)の哲学思想における能動知性としての神の存在の内から人間の魂への可能知性の流出

イブン・シーナー(Ibn Sīnāイブン・ルシュド(Ibn Rushdは、10世紀12世紀におけるイスラム世界を代表する哲学者であり、

それぞれ中世ヨーロッパにおけるラテン語名では、アヴィケンナ(Avicennaアヴェロエス(Averroesとして表記されることになります。

そして、まず、

こうした二人のイスラム圏の哲学者のうちの前者であるイブン・シーナーにおいては、アリストテレス哲学と新プラトン主義が融合した哲学思想が展開されていくなかで、

一人一人の人間の魂に内在する知性は、感覚や知覚に基づく受動知性あるいは可能知性と呼ばれる知のあり方だけであって、

対象そのもの本質を直観的に把握していく能動知性と呼ばれる知のあり方は、感覚や知覚が由来する身体的な存在として捉えられることのない純粋なる知性としての神の存在の内にのみ存在すると捉えられていくことになります。

そして、

こうしたイブン・シーナーあるいはアヴィケンナの哲学思想においては、

能動知性としての神の存在の内から下位の精神的存在である人間の魂の内に、そうした知の働きのあり方が流出していくことによって、

人間の魂の内にも能動知性の下位に位置づけられる感覚や知覚に基づく可能知性と呼ばれる知性のあり方が分有されていくことになるという考え方が示されていくことになるのです。

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イブン・ルシュド(アヴェロエス)の知性単一説における全人類に共通するただ一つの普遍的な知性の存在

そして、それに対して、

前述した二人のイスラム圏の哲学者のうちの後者であるイブン・ルシュドの哲学思想においては、

新プラトン主義に基づく流出論の考え方が後退していくなかで、アリストテレスの哲学体系の内部における能動知性可能知性についての整合的な解釈が進められていくことになるのですが、

そこでは、

人間の魂における知性的認識の主体となる可能知性の存在についても、それは、一人ひとりの人間の内に個別的な知性が存在するのではなく、全人類に共通するただ一つの普遍的な知性が存在すると考える方が整合的な解釈となるという考え方が示されていくことになります。

つまり、

こうしたイブン・ルシュドあるいはアヴェロエスの哲学思想においては、

神の存在が唯一であり、神の存在の内にある能動知性の存在も一つであるとするならば、それに対応する作用を受ける知性としての可能知性の存在も一つであると考えるのが整合的な解釈である以上、

人間の魂における様々な知的な認識や思考のあり方は、究極的には、ただ一つの普遍的な知性の存在の内に求められていくことになるという知性単一説と呼ばれる考え方が示されていると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

こうしたイブン・シーナー(アヴィケンナ)イブン・ルシュド(アヴェロエス)といった中世のイスラム世界の哲学者たちによるアリストテレス解釈の議論においては、

アリストテレス哲学における能動知性と呼ばれる知性の概念の解釈のあり方についての議論をめぐって、

まずはそうした対象そのもの本質を直観的に把握していく純粋な知性としての能動知性の存在は、神の存在の内にのみ見いだすことができる知性のあり方であると捉えられたうえで、

そうした神の存在における能動知性に対応する人間の魂における可能知性の存在も究極的には全人類に共通するただ一つの普遍的な知性の存在の内に求められていくことになるという知性単一説と呼ばれる知性の存在の捉え方が形成されていくことになっていったと考えられていくことになるのです。

・・・

次回記事:知性とは何か?⑥中世スコラ哲学における普遍論争とオッカムの認識論における人間の心の内にある個別的な知性の存在

前回記事:知性とは何か?④アリストテレス哲学における論証を超えた知のあり方としての能動知性の存在の位置づけ

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