一つの実体と三つのペルソナとしての三位一体の神の存在の具体的な解釈のあり方とは?三位一体とは何か?⑤
前回の記事で書いたように、キリスト教における三位一体の教義は、二つのラテン語の定式における三位一体の表現のあり方のうちの後者である
una substantia tres personae(ウナ・ズブスタンティア・トレース・ペルソナエ)すなわち「一つの実体と三つのペルソナ」という定式において一義的には示されることになると考えられるのですが、
それでは、こうしたラテン語の定式において示されている「一なる実体」としての神の存在と、「三つのペルソナ」としてのその現れのあり方とは、
より具体的にはどのような意味において三位一体としての神の存在のあり方を示していると考えられることになるのでしょうか?
「一なる実体」としての神の存在のあり方と古代ギリシア哲学に由来する「実体」の概念
まず、
「一つの実体と三つのペルソナ」と呼ばれる三位一体の神の存在のあり方のうち、
前者の「一なる実体」(una substantia)という言葉は、という表現のなかで用いられている「実体」(substantia)という言葉は、
もともとアリストテレス哲学などの古代ギリシア哲学に由来する哲学的な概念であり、
それは、それぞれの事物や存在者において最も本来的な意味において存在するもの、すなわち、存在の基盤や本質として位置づけられる真なる実在としての存在のあり方を意味する概念として捉えることができると考えられることになります。
つまり、
こうした「一なる実体」(una substantia)としての神の存在の表現のあり方においては、
それは文字通り、神の存在のあり方が実体的な意味においては単一な存在であるということを意味していると考えられ、
ここでは、真なる実在としては一なる存在であるという唯一神としての神の存在の根本的なあり方が示されていると考えられることになるのです。
「三つのペルソナ」としての神の存在のあり方とラテン語における「ペルソナ」の意味
それに対して、
後者の「三つのペルソナ」(tres personae)という表現のなかで用いられている「ペルソナ」(persona)という言葉は、
もともと、ラテン語において、芝居や劇において用いられる「仮面」やそうした劇中に現れる登場人物としての「配役」や「呼び名」のことを意味する言葉であり、
そうしたラテン語における「ペルソナ」という言葉は、神学的な意味においては、「位格」、すなわち、特定の存在者における存在様式や属性のことを意味する概念として解釈されていくことになります。
つまり、
こうした「一つの実体と三つのペルソナ」と呼ばれる三位一体としての神の存在の表現のあり方においては、
ちょうど舞台の上にあがった一人の俳優が、三つの仮面を次々に付け替えて見事に一人で三役の別々の登場人物の役を演じ分けていくというように、
真なる実在としては一なる存在である唯一神としての神の存在が、その存在の具体的な現れ方においては、父なる神と子なる神と聖霊という三つの存在様式あるいは三つの属性をもった存在として捉えられていくことになるということが示されていると考えられることになるのです。
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以上のように、
「一つの実体と三つのペルソナ」(una substantia tres personae)というキリスト教における三位一体の教義を表すラテン語の定式においては、
三位一体としての神の存在のあり方は、
真なる実在としては一なる存在である唯一神としての神の内に、父なる神と子なる神と聖霊という三つの存在様式あるいは三つの属性が存在するという
一なる神の存在の内にある三つの属性として捉えられる内部構造の存在のあり方が明らかにされていると考えられることになるのです。
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次回記事:アウグスティヌスの哲学における三位一体の解釈、人間の心の愛の働きとの類比における三者の関係構造、三位一体とは何か?⑥
前回記事:ウーシアが本質か実体かという捉え方の違いに基づく「三位一体」の解釈における三つの神の一体性の強さの違い、三位一体とは何か?④
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