唯物論としてのアリストテレス哲学の解釈、『魂について』(デ・アニマ)における生命原理としての魂の定義と身体との関係性
前回までの一連の記事では、アリストテレス哲学の存在論の議論において登場する形相と質料あるいは現実態と可能態といった概念について詳しく考察してきましたが、
こうしたアリストテレス哲学における存在論の議論と事物の存在のあり方に関する概念の捉え方からは、不動の動者のような神の存在や不死なる魂の存在を示唆するような議論を導くことができると同時に、
その反対に、そうした物質的存在としての身体を離れた不死なる魂の存在自体を否定する唯物論の議論を導いていくこともできると考えられることになります。
そこで、今回の記事では、
こうしたアリストテレスの哲学における魂の概念に基づいて唯物論的な世界観を正当化していく議論、すなわち、アリストテレスを唯物論者として捉える議論について詳しく考えていきたいと思います。
栄養摂取といった物質的な生命活動のあり方を含む生命原理としての魂の定義
アリストテレス哲学において、人間や動物といった生命体の存在における魂の概念についての考察は、『魂について』(デ・アニマ、De Anima)と題される著作集のうちに位置づけられる書物において進められていくことになるのですが、
その書物のなかでは、
そうした人間や動物といった生物における生命原理としての魂の存在は、
「栄養摂取、知覚、思考、運動などの原理」
として定義されていくことになります。
そして、
こうしたアリストテレス哲学における定義に基づくと、
魂の存在は、栄養摂取や運動といった物質的あるいは物理的な生命活動のあり方が基礎として位置づけられたうえで、
そうした基礎的な生命活動のあり方のうえに、知覚や感覚さらには思考活動といったより高度な精神活動としての生命活動のあり方が積み重なっていくという
物質的な生命活動の原理と精神的な生命活動の原理が一つに連なった階層構造のうちに位置づけられていると捉えることができると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
こうした魂の階層構造の内部においては、より上位の生命活動のあり方として位置づけられている感覚や知覚さらには思考活動といった精神活動としての魂の働きは、
栄養摂取といったより基礎的で物質的な生命活動の存在を前提とすることによってはじめて成立しているとも捉えることができると考えられることになるのです。
アリストテレス哲学の存在論における質料としての身体と形相としての魂の意一体性
また、
以前にも「現実態と可能態の違い」の記事などで書いたように、アリストテレス哲学の存在論の議論においては、
基本的には、
プラトン哲学における真なる実在としてのイデアの存在にみられるような物質的な存在を離れた普遍的な観念の存在自体は現実的な存在としては認められておらず、
現実の世界のうちに存在するあらゆる事物は、事物の存在における物質的な原理である質料と概念的な原理である形相が一つに結びついた質料と形相の結合体の形においてのみ現実態の状態にある存在すなわち現実的な存在として位置づけられていくことになります。
つまり、
こうした事物の存在のあり方において、質料と形相を一体的な存在として捉えられていくアリストテレス哲学における存在論の立場に基づくと、
人間や動物といった生命体の存在においても、それは現実的な存在のあり方としては、質料としての身体と形相としての魂が一体となった互いに不可分な関係にある存在として位置づけられていると考えられ、
そういった意味では、
形相としての魂は、質料としての身体の存在から離れてしまっては、現実の世界のうちにおいては現実的な存在として存在することができないとも考えられることになるのです。
不死なる魂の存在を否定する唯物論としてのアリストテレス哲学の解釈
以上のように、
こうした栄養摂取といった極めて物質的な生命活動のあり方を魂の根源的な働きとして位置づけているアリストテレス哲学における魂の定義と、
アリストテレスの存在論における質料としての身体と形相としての魂の存在の一体性の議論に基づくと、
人間の魂や知性における感覚や知覚あるいは思考活動といったあらゆる精神活動のあり方は、質料すなわち物質的な存在としての身体の存在と、それに基づく栄養摂取といった物質的な生命活動の働きを前提とすることによって成り立っていると考えられ、
肉体の死後においても、身体という物質的な存在を離れて実在する精神的な実体としての不死なる魂といったものはどこにも存在しないと考える唯物論的な世界観を提示していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:唯心論としてのアリストテレス哲学の解釈、不死なる魂と不動の動者としての神の存在を肯定する精神的な実体の存在の探求
前回記事:能動知性と受動知性の違いとは?アリストテレスの認識論における両者の位置づけと不動の動者としての神の存在との関係
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