五帝とは何か?①黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜の五人の聖王による儒教が理想とする王道政治の実現
五帝(ごてい)とは、古代中国における様々な歴史的伝承の中で語られている伝説的な五人の聖君や帝王のことを意味する言葉であり、
こうした五帝と呼ばれる存在としては、通常の場合、主に、黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)という五人の聖君の名が挙げられることになります。
それでは、
こうした五人の聖君たちの手によって治められていたとされる古代中国の五帝の時代においては、具体的にどのような治世が実現されていたと考えられることになるのでしょうか?
黄帝・顓頊・帝嚳の三代にわたる古代中国の安定した治世
まず、
古代中国における様々な歴史書のなかでも、最も正統性の高い書物として位置づけられている『史記』においては、
こうした五帝と呼ばれる存在としては、
黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)という五人の聖君の名が挙げられていくことになります。
このうち、
五人のなかの最初の人物として挙げられている黄帝とは、詳しくは、「黄帝とは何か?」の記事で書いたように、
船や車、貨幣や暦といった様々な文物をつくり出し、伝説上初めて中国全土を統一したとされる漢民族の祖としても位置づけられる帝王であり、
歴史伝承上においては、こうした五帝のうちの最初の帝王として位置づけられている黄帝の治世のはじまりを一つの境界線として、
中国神話における神々による統治と戦いの時代は終わりを告げ、人間の帝王が自らの手によって国を治める古代中国における歴史時代が幕開けを迎えていくことになると考えられることになります。
そして、
こうした黄帝の後に続く、顓頊(せんぎょく)と帝嚳(ていこく)と呼ばれる二人の帝王は、共に、黄帝の子孫にあたる人物であるとされていて、
具体的には、両者の間に直接的な親子関係は存在しないとされてはいるものの、顓頊は黄帝の孫、帝嚳は黄帝の曾孫(ひまご)にあたる人物の一人として位置づけられていくことになります。
そして、このように、
古代中国の五帝の時代においては、漢民族の祖として位置づけられる黄帝の治世の後に、顓頊と帝嚳という二人の帝王の治世が続いていくとされることによって、
三代の長きにわたって黄帝の血をひく聖王たちの手による安定した治世が続いていったということが示されていると考えられることになるのです。
儒教における聖人である尭と舜の二帝による王道政治の実現
そして、
その次に挙げられている尭(ぎょう)と舜(しゅん)という二人の聖君は、
五帝の中でも、後世の模範となる特に優れた治世を行ったとされる帝王として、のちに、儒教において聖人として神聖視されていくことになる人物でもあり、
例えば、
『史記』における尭(ぎょう)についての記述の中では、
「その仁(思いやり)は天のごとく、その知は神のごとく、近くにあれば日のごとく、遠くにのぞめば雲のごとくある」といった最大級の賛辞が語られています。
尭は、太陽や月の運行や星読みといった天文学の分野に特に秀でていた実績を残した帝王であるともされていて、
月の満ち欠けや夜空の星々の動きを精緻に調べることによって、一年を366日として、三年ごとに閏月(うるうづき)をおくことで季節の移り変わりを正確に読み解く太陰太陽暦に基づく古代中国における暦を完成させた帝王としても位置づけられていくことになります。
そして、それに対して、
尭の後を継いだ舜(しゅん)は、頑迷で不実な両親のもとに育ちながら、そのような両親に対してもひたすら深く孝を尽くして和をはかり、
尭の死に際して自らが帝位につくよう求められた際も、三年の喪に服したのち、さらに自らは帝位につかずに、尭の子に帝位を譲ろうと固辞し、
そののち、諸侯や民たちがみな舜のもとへと集まり、帝位につくように懇願し続けた末に、「天なるかな」と語って、やっと帝位へとつく決意を固めた忠義と孝行の人として描かれていくことになります。
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以上のように、
古代中国における様々な歴史的伝承の中で語られている伝説的な五人の聖君や帝王のことを意味する五帝と呼ばれる存在としては、通常の場合、
『史記』における記述などに従って、黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)という五人の聖君の名が挙げられていくことになります。
そして、こうした五人の帝王の治世においては、
まずは、伝説上初めて中国全土を統一した漢民族の祖であるともされる五帝のうちの最初の帝王である黄帝の治世を引き継ぐ形で、
黄帝の孫にあたる顓頊と、黄帝の曾孫にあたる帝嚳へと三代にわたる安定した治世が続いていくことになり、
その次の尭の治世においては、天文の分野の知見が深く広げられていくことによって、太陰太陽暦に基づく古代中国における暦が完成され、
さらにその次の舜の治世においては、仁義や忠孝を重視した徳治政治が実現されていくことになります。
つまり、
こうした尭と舜という五帝のうちの特に後半の治世において、
儒教が理想とする仁義や忠孝といった徳の力によって武力を用いずに国を治める徳治政治や王道政治の理想が実現されていくことになったと考えられることになるのです。
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次回記事:五帝とは何か?②伏羲・太昊・神農・炎帝・少昊・禹・湯などの様々な帝王の中から『史記』における五人の聖王が選ばれた理由
このシリーズの前回記事:三皇とは何か?天皇・地皇・人皇・伏羲・女媧・神農・燧人・黄帝という八人の帝王のうちで最も適切な三人とは誰か?
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