ゲーテの『ファウスト』におけるホムンクルスの創造と、哲学の子としての人造人間の誕生、ホムンクルスとは何か?④
前回書いたように、人為的に創造された人間に類する生命体、すなわち、人造人間のことを指して「ホムンクルス」という言葉が明確に用いられるようになったのはヨーロッパが中世から近世の時代へと入ってからであり、
16世紀のドイツの錬金術師であるパラケルススの著作においては、こうした人造人間としてのホムンクルスを錬金術によって錬成するために必要な手順まで、かなり具体的な形で記述がなされていると考えられることになります。
そして、
18世紀後半~19世紀前半のドイツの詩人であるゲーテの『ファウスト』においては、物語の中の登場人物であるワーグナー博士がこうした錬金術によって生み出される人工的な生命体であるホムンクルスを自らの手によって創り出そうとする場面がより幻想的な形で描かれていくことになります。
『ファウスト第二部』第二幕におけるワーグナー博士によるホムンクルス(人造人間)の創造
ゲーテ『ファウスト第二部』の第二幕では、
かつて、この物語の主人公であるファウストの助手を務めていた人物であるワーグナーという名の男が、修業を積み、豊かな学識を身に着けた錬金術の大家となって再び現れる場面が出てくるのですが、
そうした『ファウスト第二部』第二幕のなかの「中世風の実験室―空想的目的のための種々雑多な取り扱いにくい器械」と題される章においては、以下で記すように、
錬金術師たちが活躍した中世の時代を思わせるような古めかしくも奇妙な実験室の中で、錬金術の大家となったワーグナー博士が自らの手で人為的に創造された生命体であるホムンクルスを創り出そうとする場面が幻想的な形で描き出されていくことになります。
・・・
ワーグナー:
(竈(かまど)の傍(かたわ)らで)
恐ろしい鈴の音が鳴り響き、煤けた石壁が鳴動する。
真摯な希求が実現するか否か決する時がいまや迫ったのだ。
曇っていた部分が明るく冴えてくる。レトルト※の中心部に、
燃える石灰のような、いや、輝く紅玉のようなものが現れ、
暗闇の中で稲妻のような光を発している。
明るく白い光が現れた。
今度こそは取り逃がしたくはないものだ。
※ここで言う「レトルト」とは、フラスコの上部から斜め下に向かって管が伸びるような形状をしたガラス製の実験器具のこと。
・・・
そして、
このように怪しげな実験に没頭しているワーグナー博士のもとへと、主人公であるファウストに付き従っている悪魔であるメフィストフェレスが訪れ、彼に声をかけることになるのですが、
そこでワーグナー博士は、以下のように答えることになります。
・・・
メフィストフェレス:
こんにちは。お役に立ちたいと思って参りました。
ワーグナー:
おいでなさい。よい星回りです。
(声を低く)
でも物を言わずに、息を殺していてください。
大仕事がいま出来かかっているところなのですから。
メフィストフェレス:
いったい何だと言うんです?
ワーグナー:
(さらに声を低く)
人間を造っているのです。
・・・
そして、
偉大なる錬金術の秘技を成し遂げようと真剣に実験の仕上げへと取りかかるワーグナーに対して、
悪魔メフィストフェレスは、どこかおどけた道化師のような調子で、以下のように問答を続けていくことになります。
・・・
メフィストフェレス:
人間ですって?
いったいどんな恋人同士をそんな煙穴(けむあな)の中に押し込めているんです?
ワーグナー:
とんでもない。
これまで流行していた生産法というやつは、
くだらぬ茶番だと我々は言うのです。…
いやしくも偉大な天分を授けられている人間というものは、
将来は、もっとずっと高尚な源から生まれてくるのでなければなりません。
・・・
そして、
以下で記したホムンクルスの創造が成し遂げられるまさにその瞬間が描かれる場面において、
ワーグナー博士は、人間が自然によってではなく、人間自身の力によって新たに創り出されるべきであるゆえんを高らかに語り上げていくことになるのです。
・・・
(竈(かまど)に向かって)
光っている。さあ、見るがいい。
ついに事が成就する時が来たのだ。
何百もの物質を調合して、
ただし、この調合の仕方というやつが肝心なのだが、
こうして人間の素材をのびやかに組み立てる。
それからレトルトに入れて密封して、それを適切に蒸留する。
こうして人知れず仕事が成就するのです。
(再び竈に向かって)
事は成就する。塊(かたまり)が動いて澄んでくる。
そして確信はますます強くなる。
自然の神秘として讃えられてきたことを
我々は知性の力によって成し遂げるのだ。…
ワーグナー:
(絶えずレトルトの中を注視しながら)
昇ってくる。光を発する。集まって固まる。もうすぐ成就する。
偉大な計画というものは、初めのうちは気違い沙汰に見えるのだが、
これからは偶然に頼ってきたことの方がお笑い種(ぐさ)となるだろう。
卓越した思考を生み出すべき頭脳というものは、
これからは思想家の手によって創り出されることになるのだ。
(以上、ゲーテ『ファウスト第二部』第二幕から「中世風の実験室―空想的目的のための種々雑多な取り扱いにくい器械」」より抜粋)
人間の意志と知性によって必然的に生み出される哲学の子としての人造人間の誕生
ちなみに、
最後のワーグナー博士のセリフの中で、「偶然に頼っていたことが笑い種になる」という言葉が出てきますが、
ここでは、今まで、子供とは、夫婦あるいは恋人となった男女の間で自然な形で生まれてくるものであり、二人の間に子供がいつ生まれるのか?あるいは子供ができるのかどうかも含めてすべて自然の成り行きという偶然に左右されることであったものが、
今や、錬金術師あるいは思想家という一人の人間の意志のみによって、予め定められた計画通りに、必然的に生み出されることになったということを意味して、こうした言葉が語られていると考えられることになります。
そして、
以上のような錬金術師ワーグナーの宣言によって、『ファウスト』におけるホムンクルス(人造人間)の誕生の場面は終わりを告げることになるのですが、
その一番最後の部分に記されている「思想家」という日本語の訳語にあたる言葉は、ドイツ語の原文では“Denker”(デンカー)と書かれていて、
ドイツのDenkerは、日本語では、思想家や思索者、あるいは、哲学者とも訳される言葉であると考えられることになります。
つまり、
ホムンクルスとは、人間の手によって人為的に創造された人間に類する生命体であり、それは、自然の働きと偶然性によって左右される不確実な存在ではなく、
人間の意志と知性によって必然的に生み出される生命を持った存在であるという意味において、
こうしたゲーテ『ファウスト第二部』第二幕の上記の章の場面においては、肉体によってではなく、知性によって生み出される
哲学の子として創造されたホムンクルスの誕生の瞬間が描き出されていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:『ハリー・ポッター』のヴォルデモート復活の場面における人体錬成とホムンクルス(人造人間)との関係
前回記事:錬金術師パラケルススによるホムンクルス(人造人間)の錬成、腐敗と血の犠牲が生む神秘的な知識を持つ小人、ホムンクルス③
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