なぜ相対性理論において光の速さは不変でなければならないのか?①実証的な事実としての光速度不変性
「特殊相対性理論と一般相対性理論の違い」に始まる前回までの一連の相対性理論シリーズで書いてきたように、
1905年にアルベルト・アインシュタインの手によって発表された現代物理学の基礎理論となる特殊相対性理論と、その発展形である1915年発表の一般相対性理論においては、
光の速度は光源の動きと関係なくすべての観察者にとって不変であるとする光速度不変の原理を前提することによって、そこから理論全体の体系が組み上げられていくことになります。
そこで、今回は、こうした相対性理論における一連の議論の出発点である光速度不変の原理に一度立ち返ったうえで、
そもそも、なぜ相対性理論において光の速さは不変でなければならないのか?という相対性理論において光速度が不変とされる理由について、今回と次回の二回にわたって改めて考えていみたいと思います。
光の速さが不変であることは論理的な帰結か?それとも実証的な事実か?
まず、一般的に、学問においてある事柄が真であると認められるための道筋としては、
その事柄の定義自体について詳しく分析し、論理的な推論を重ねていくことによって、そうした分析や推論に基づく論理的な帰結としてその主張が真であるとされる場合と、
その事柄に関する具体的な実験や観察を重ねていくことによって、そうした実験や観察のデータに基づく実証的な事実としてその主張が真であるとされる場合という
大きく分けて二通りのパターンがあると考えられることになります。
例えば、
「2+3×2=8」という計算式が真であるということは、具体的な実験や観察を必要とせずに、数や四則演算の定義に基づいて論理的な推論を行うことによって証明することができるので、それは論理的な帰結として真であると考えられることになりますが、
それに対して、
「太陽が東から昇って西へ沈む」のが真であるということは、太陽系の中心に位置する恒星であり、地球上の万物を育てる光と熱の源となるといった太陽自体の他の定義から論理的に導き出すことができない事柄なので、
それは、現実の世界の内にある太陽を実際に観察することによってのみ真であると認めることができる実証的な事実として真である事柄として捉えることができると考えられることになります。
それでは、こうした学問における事実や結論の導き出し方の分類に基づくと、
相対性理論において主張される光の速さが不変であるという事柄は、こうした論理的な帰結と実証的な事実のいずれに分類される事柄であると考えられることになるのでしょうか?
実験結果に基づく実証的事実としての光の速度の不変性
光の速度の不変性が主張されるようになった物理学史的な経緯について改めてさかのぼって考えていくと、
その具体的な転換点は、1887年に行われたマイケルソン・モーリーの実験に求めることができると考えられることになります。
詳しくは以前の記事で書いたように、マイケルソン・モーリーの実験においては、
その実験の本来の意図には反する形であったものの、光の速度が、当時、宇宙空間に遍在する光の媒介物質として想定されていたエーテルの干渉を受けることなく、
観測地点の運動速度や運動方向の違いといったいかなる条件のもとにおいても、常に一定の速度として観測されるという事実が実証されることになります。
そして、当時の物理学界においては、
こうしたマイケルソン・モーリーの実験として得られた実証的事実としての光速度不変性に基づいて、その実験結果を合理的に説明するための理論体系の構築が求められるようになっていくことになり、
こうした物理学史における一連の流れが、
1889年 のフィッツジェラルドと、1895年のローレンツによるローレンツ収縮(フィッツジェラルド・ローレンツ収縮)の提唱や、
1905年のアインシュタインによる特殊相対性理論の発表といったその後の現代物理学の発展を基礎づける様々な重要な理論の提唱へとつながっていくことになります。
つまり、
相対性理論において前提とされれている光の速さの不変性とは、物理学史においては、論理的な帰結として論証された事柄というわけではなく、
それは、むしろ、実験結果を通して得られた実証的な事実として真であると認められた事柄であり、
そうした実証的事実を合理的に説明するために、相対性理論といった理論体系の方が後になって構築されていったと考えられることになるのです。
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そして、以上のことから、
冒頭で挙げたなぜ相対性理論において光の速さは不変でなければならないのか?という問いに対する一つの答え方としては、ひとまずは、
相対性理論において前提とされれている光の速さの不変性という事柄自体は、もともと論理的な帰結として論証された事柄ではなく、
上記のマイケルソン・モーリーの実験によって光の速さが常に一定の速度として観測されるという事実が実証されたことによって真とされた事柄であり、
実験と観察によって得られた実証的な事実として光の速さはなぜ不変であると言えるとする答え方が考えられることになります。
つまり、
「太陽が東から昇って西へ沈む」のが真であるのと同様に、
「光の速度が不変である」というのも、論証によってではなく、実験・観察によって得られた実証的な事実として真であると認めることができると考えられることになるのです。
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次回記事:なぜ相対性理論において光の速さは不変でなければならないのか?②天動説から地動説への転換と相対性理論との関係
前回記事:ローレンツ因子の二つの表記の違いとは?時間と空間の伸縮を司る係数としてのローレンツ因子の意味
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