哲学における直観の意味とは?①プラトンのイデア論におけるノエーシスからアリストテレスのテオリアへ

前回書いたように、直観と直感という二つの概念は、

「直感」という言葉は、直接何かを感じるという触覚に根ざした認識のあり方を示していて、日常的な文脈における勘や第六感のようなもの示す概念であるのに対して、

「直観」という言葉は、直接何かを観(み)るという視覚に根ざした認識のあり方を示していて、哲学や論理学といった学術性の高い文脈において用いられることが多い概念であるといった点に、両者の認識のあり方の違いがみられることになります。

それでは、

こうした哲学における直観的な認識のあり方の源流は、いったいどこに求められるのか?ということですが、

デカルトスピノザ、さらには、カントフィヒテフッサールといった様々な哲学者たちにおける直観概念の源流をたどっていくと、

それは、最終的には、西洋哲学の大本にあるプラトン哲学のイデア論における認識のあり方に行き着くと考えられることになります。

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直観概念の源流とプラトンにおけるノエーシス(直知的認識)の概念

プラトン哲学の根幹を担う概念であるイデアideaとは、一言で言うと、すべての存在の根源にある真なる実在としての観念のあり方を意味することになりますが、

このイデア(idea)という言葉は、もともと、

古代ギリシア語で「見る」を意味する動詞であるeido(エイドー)の変化形であるidein(イデイン)から派生してできた名詞であり、

言葉自体の本来の意味としては、イデアは、「見られるもの」を意味することになります。

そして、

プラトンの主著の一つである『国家』において、そうしたイデアに対する人間の認識のあり方は、

エイカシアeikasia映像知覚)とピスティスpistis知覚的確信)、そして、ディアノイアdeanoia間接的認識)とノエーシスnoesis直知的認識)という

全部で四段階の階層に分けられる形で捉えられていくことになります。

これらの四つの段階のうち、はじめの三つの認識のあり方は、それぞれ、

エイカシア(映像知覚)は、水面や鏡に映った姿や影絵といった実際の事物を伴わないで映像だけの幻の姿を見ている状態の認識のあり方、

ピスティス(知覚的確信)は、実際の事物を直接知覚している認識のあり方、

ディアノイア(間接的認識)は、数学や自然学といった通常の学問における論理的な推論を通した認識のあり方を意味しているのに対して、

最後の認識のあり方であるノエーシス(直知的認識)は、上記の他の三つの認識のあり方の背後にある真の実在であるイデアそのものを直接把握する認識のあり方であるとされることになります。

そして、

こうしたノエーシスと呼ばれる知のあり方へと至るためには、プラトンの対話篇において示されているような哲学的対話を自分自身の魂の内において行っていくことが必要であると説かれていくことになるのですが、

以上のように、

プラトンにおいては、こうしたイデアそのものを直接洞察する知のあり方であるノエーシス直知的認識へと至ることが哲学的探究の究極の目的であり、

そうした直知的認識、すなわち、直観としての知のあり方が、人間の知性における最高段階の認識のあり方であると説かれることになるのです。

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プラトンのノエーシスからアリストテレスのテオリアへ

そして、

こうしたプラトンにおけるノエーシス(直知的認識)と呼ばれる哲学的な認識のあり方は、

プラトンの弟子であるアリストテレスにおいては、普遍的な真理事物の本質そのものを洞察するテオリアtheoria観想)と呼ばれる認識のあり方として捉え直されていくことになります。

古代ギリシア語テオリア(theoriaとは、もともと、「何かを見る、眺める」といったことを意味する言葉ですが、

アリストテレスにおいても、こうした真理や本質を直接見るような形で把握するという直観としての知のあり方が、人間の知性における最高の活動であり、哲学的探究が目指すべき究極の知のあり方として重視されていくことになるのです。

・・・

以上のように、

「直観」という概念が「直接何かを見る」という視覚に根差した概念であるのと同様に、

プラトンノエーシスと呼ばれる認識において把握される真なる実在としてのイデア(ideaも、もともとは「見られるもの」を意味する言葉であり、

アリストテレスにおけるテオリアと呼ばれる認識のあり方も、もともとは「何かを見る、眺める」といったことを意味する言葉ということになります。

そして、

こうしたノエーシステオリアといった古代ギリシア哲学における認識のあり方は、真理や本質を直接観るような形で把握するという直観としての知のあり方に極めて近い概念であると考えられることになるので、

哲学における直観という概念の大本の源流には、

プラトンのイデア論におけるノエーシス直知的認識や、アリストテレスにおけるテオリア観想と呼ばれる認識のあり方が存在すると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:古代ギリシア語からラテン語への直観概念の移行とエピクロス派における直観的認識、哲学における直観の意味とは?②

関連記事:直観と直感の違いとは?心の目で見て全体を一挙に把握する直観と何となく肌で感じる直感の違い

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