タブラ・ラサとは何か?①ロックの白紙説とアリストテレス哲学の関係
ラテン語のタブラ・ラサ(あるいはタブラ・ラーサ、tabula rasa)とは、イギリス経験論の代表的な哲学者であるジョン・ロックの認識論における白紙説とも呼ばれる思想を表す標語として用いられる哲学上の概念であり、
一般的には、人間の心が、その誕生の段階において、いかなる観念や原理も書き込まれていないまっさらな白紙の状態にあることを意味する言葉として用いられていまます。
それでは、哲学においてこうした概念が形成されていた思想的な源流はどこに求められると考えられ、タブラ・ラサという言葉自体は、ラテン語における字義上の意味としては、厳密にはどのような意味を表す言葉であると考えられることになるのでしょうか?
スコラ哲学とアリストテレス哲学へと遡るタブラ・ラサの思想的源流
上述したように、タブラ・ラサという言葉は、一義的には、イギリス経験論の哲学者であるジョン・ロックの白紙説と呼ばれる経験主義の思想を表す標語として解釈されることが多い言葉ですが、
この表現自体は、ロックの哲学思想の内においてだけではなく、彼の思想に大きな影響を与えたフランスの哲学者であるガッサンディや、ロックの少し後の世代のドイツの哲学者であるライプニッツなどの著作の内にも同じ記述を見いだすことができる表現となっています。
つまり、
タブラ・ラサというの言葉は、ロックの哲学思想についてだけではなく、近世から近代にかけてのヨーロッパ哲学における経験論的認識論の思想を端的に表す表現として、幅広く用いられていた言葉であると考えられるということです。
そして、さらには、
中世のイタリアの哲学者トマス・アクィナスの主著である『神学大全』や、古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの『霊魂論』(デ・アニマ、De Anima)にも同様の記述がみられるように、
タブラ・ラサという概念自体は、中世のスコラ哲学や、その大本にあるアリストテレス哲学における哲学思想の内にその哲学史的な源流を求めることができる概念であると考えられることになるのです。
ロックの『人間知性論』におけるタブラ・ラサの記述と白紙説
それでは、こうしたタブラ・ラサという概念が、ロックの哲学思想においては、具体的にどのような意味を表す言葉として用いられているのか?ということについてですが、
例えば、
ロックの主著である『人間知性論』においては、草稿の段階では上記のタブラ・ラサという言葉がそのまま使われているのに対して、
書籍として公刊された段階においては、より分かりやすい表現として、ホワイト・ペーパー(white paper、白紙)という言葉が用いられています。
つまり、
ロックの哲学思想においては、ラテン語におけるタブラ・ラサ(tabula rasa)という言葉は、英語におけるホワイト・ペーパー(white paper)、すなわち、白紙という言葉と同一の意味を持つ互換的な概念として用いられていると考えられることになるのです。
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以上のように、
タブラ・ラサという概念は、その哲学史における思想的な源流をたどっていくと、
近代ヨーロッパ哲学におけるイギリスのジョン・ロックや、彼と時代を多少前後するフランスのガッサンディ、ドイツのライプニッツといった哲学者たちの思想から、
さらにさかのぼって、最終的には、中世のスコラ哲学や、古代ギリシアのアリストテレス哲学における経験主義的な認識論の思想の内に、その起源を求めることができる概念であると考えられることになります。
そして、
イギリス経験論の代表的な哲学者であるジョン・ロックの哲学思想においては、ラテン語のタブラ・ラサという概念は、英語のホワイト・ペーパー(白紙)と同一の意味を持った概念として捉えられていると考えられることになるのですが、
詳しくは次回改めて考えていくように、
タブラ・ラサという言葉自体が持つラテン語の字義上の意味にまでさかのぼって考えてみると、それは厳密には、
何も書き込まれておらず、いっさい手のつけられていないまっさらな状態にある単なる白紙という意味とは、少し異なる意味合いを持った言葉であるとも考えられることになるのです。
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次回記事:タブラ・ラサとは何か?②ラテン語におけるタブラの意味と黒板とチョーク
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