プラトンの初期対話篇『メノン』における自発的な学習の過程としての想起説の議論②、プラトンの想起説②
前回書いたように、プラトンの初期対話篇である『メノン』においては、
知の探究が成立するためには、探究される知識は自分が以前には知らなかった知識でなければならないが、人が何かを探究するためには、その探究の対象が何なのか?ということを何らかの形で予め知っていることが必要なので、
新たな知識を見つけ出すという意味での知の探究は不可能であるという知の探究のパラドックスが提示されています。
そして、『メノン』においては、この対話篇における対話相手であるメノンがソクラテスに対して突きつけるこうした知の探究のパラドックスを解決するための方策の一つとして、想起説と呼ばれる一連の議論が提示されていくことになるのです。
『メノン』における自発的な学習の過程としての想起説の議論
プラトンの初期対話篇である『メノン』における想起説の議論では、
まず、ピタゴラス学派や、オルペウス教におけるような輪廻転生説が提示されたうえで、
「探究するとか学ぶとかいうことは、全体として、想起することに他ならないのだ。」(プラトン『メノン』81D)
という言葉が語られています。
つまり、
人間の魂は、輪廻転生説の主張が示すように、永遠なる輪廻と転生の内に、すでにあらゆることを知り尽くしていて、
現世における探究と学習のすべては、そうした永遠の輪廻を通じて心の奥底では既に知っているはずのことを改めて思い出すという想起(anamnesis、アナムネーシス)と呼ばれる知の働きに基づいて成り立っているとも考えることができるということです。
そして、『メノン』の中の登場人物としてのソクラテスは、
こうした想起と呼ばれる知の探究のあり方を実際に例示するために、
対話相手であるメノンに付き従っていた一人の召使いの少年を連れて来て、彼に地面に描かれた正方形の二倍の面積を持った正方形を図示するという幾何学的な知の探究を実際に行わせてみせることにします。
はじめのうちは、召使いの少年はただ的外れな答え方をするだけで、なかなか正解へはたどり着かないのですが、
ソクラテスが折に触れて投げかける様々な質問をきっかけとして、試行錯誤を繰り返していくことを通じて、徐々に正答へと近づいていくことになります。
そして少年は、最終的には自分自身の力によって、二倍の面積を持った正方形を図示するための正しい方法を見つけ出し、それによって幾何学についての新たな知識を獲得することに成功することになるのです。
真理は自分の魂の内側と外側のどちらにあるのか?
このように、上記の一連の幾何学的な知の探究の議論においては、
召使の少年が、ソクラテスの質問に導かれて、幾何学における真理を自分自身の力で見つけ出していくという自発的な学習の過程が示されていると考えられることになります。
そして、
そうした人間の魂における自発的な学習と知の探究のあり方こそが、輪廻転生説を引き合いに出すことによって示されている『メノン』における想起説の議論の内実であると考えられることになるのです。
つまり、
あらゆる学習と知の探究の対象となる真理とは、誰かから一方的に押しつけられるような形で教えられるような自分の魂の外側に存在するものではなく、それは自分自身の心の内側にはじめから備わっているものであり、
学習とは、そうした自分の心の奥底に予め備わっている真理を、まるで生まれる以前の前世では知っていたことを現世において改めて思い出そうとうするような
想起と呼ばれる知の働きに極めて近い知のあり方をしているということが語られていると考えられることになるのです。
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以上のように、
プラトンの初期対話篇である『メノン』における想起説の議論では、
ピタゴラス学派におけるような輪廻転生説の思想が引き合いに出される形で、想起と呼ばれる自発的な学習の過程としての知の働きが、あらゆる学習と知の探究の根底に存在しているという主張が語られていると考えられることになります。
そして、こうしたプラトンの哲学における想起説の議論は、
プラトンの中期対話篇である『パイドン』において、魂の不滅性の論証の議論と結びついていくことによって、想起(アナムネーシス)という概念が持つ意味がより深められていく形で新たな議論の展開を迎えていくことになるのです。
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次回記事:プラトンの中期対話篇『パイドン』における想起(アナムネーシス)の概念の定義 、プラトンの想起説③
前回記事:プラトンの初期対話篇『メノン』における知の探究のパラドックスと想起説の議論①、プラトンの想起説①
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