エトルリア人の起源とは?②古代ギリシアおよびエジプト文明との関連性
前回書いたように、
古代イタリア世界において
ローマ人やラテン人に先駆けて先進文明を築き上げた
エトルリア人は、
古代ギリシアやエジプトといった
東地中海世界と深い関係にあった民族と考えられます。
そして、彼らはさらに、
紀元前1200年前後に突如として
海の彼方から現れ、
東地中海世界一帯を席巻して
多くの古代国家を壊滅状態へと陥れたのち、
再び海の彼方へと去って行き、
忽然と姿を消してしまった系統未詳の民族である
「海の民」との関係性も指摘されていますが、
今回は、
こうしたエトルリア人の「海の民」との関係性について迫っていく前に、
その前提として、
エトルリア人と古代ギリシア・エジプト文明との関連性について
さらに詳しく、より具体的に考えていきたいと思います。
古代ギリシア世界との関係性とアエネアス伝説の起源
まずは、
エトルリア人と古代ギリシア世界との
具体的な文化や宗教の関連性についてですが、
エトルリア人も古代ギリシア世界の人々と同様に、
人間のような姿形と性格を有する神から成る多神教の神々を信じ、
基本的には、ギリシア神話を引き継ぐような宗教観を持っていました。
そして、
それらの神々のために神殿や神像を建立していくことを通じて
自らの民族の芸術性と文化を発展させていきましたが、
そのなかでも、
古代ギリシア世界とイタリア世界とをつなぐ神話の物語として、
トロイアの英雄アエネアスの物語が挙げられます。
パリスの三美神の審判の報酬としての
美女ヘレネの強奪に端を発する
トロイア軍とギリシア軍との間の
十年にわたる全面戦争であるトロイア戦争の結果、
滅亡してしまった祖国トロイアを去り、
新天地イタリアを目指して航海を続けていく
英雄アエネアスの伝説は、
ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネイス』において、
ローマ建国史の一部を成す神話として描かれていますが、
こうしたアエネアス伝説が発展していった経緯は、元々は、
エトルリア人の神話にその源流があると考えられます。
前回書いたように、
エトルリア人の起源についての最も有力な仮説では、
エトルリア人は、
小アジア北西部のリュディア地方から海路で東地中海を渡り、
イタリア半島へと流れ着いたことになっていますが、
英雄アエネアスの祖国とされるトロイアも
小アジア北西部の地中海沿岸に位置していた古代都市であり、
リュディアとトロイアは、
ちょうど互いに隣接する地域に位置していました。
つまり、
エトルリア人たちは、
ギリシア神話の中から、
自らの民族の起源とほぼ一致する地域の出身である
トロイアの英雄アエネアスの存在に目をつけ、
彼の物語を、
我々はどこから来たのか?
という
古代から現代へと通じるすべての人間、すべての民族に共通する
根源的な存在への問いへの一つの答えをもたらす
自分たちの民族の出自に神話的根拠を与える物語として
選び取ることによって、
英雄アエネアスの伝説を
自らの民族とイタリア世界の神話として
発展させていったと考えられるのです。
古代エジプト文明との関連性と男女平等の社会観
一方、
エトルリア人と古代エジプトとの
文化的関連性については、
例えば、
エトルリア美術における彫刻の紋様などにも
古代エジプト文化との一定の共通点が見られますが、
一つには、古墳などの
墓地における埋葬のされ方や副葬品にも
エトルリア人と古代エジプト世界との共通点を見ることができます。
古代エジプトでは、
死後の世界においても
生前と同様の豊かな暮らしを得るために、
副葬品として、財宝や装飾品などの他に
様々な日用品や食物、家具までも供えられることがありましたが、
古代エトルリアでも同様に、
墓地には様々な日用品が
生前に使っていたのと同じの姿で供えられ、
棺が納められた石室の壁面には、
音楽や踊りによって死者の魂を癒す
にぎやかで明るい絵が描かれていることもありました。
また、
これも、古代エジプト文化と共通する点となりますが、
石室の中に置かれた彫像の中には、
夫婦と思われる男女が並んでいる姿が
同じ大きさで描かれている石像もあり、
こうしたことからは、
エトルリア人が、
古代ギリシアやローマ人などと比べて
より男女平等に近い社会観を持って生活を営んでいたことが
示唆されることになります。
・・・
このシリーズの前回記事:
エトルリア人の起源とは?①陸路と海路の二つの移動ルートと三つの仮説
このシリーズの次回記事:
「海の民」の正体とエトルリア人との関係、エトルリア人の起源とは?③
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