マケドニアの建国とドーリア人との関係:ギリシア神話におけるマケドニアの起源とアルゲアス朝の名前の由来
前回書いたように、ペロポネソス戦争後にギリシア世界の覇権を握ることになったスパルタは、紀元前371年に起きたレウクトラの戦いでテーバイ軍に大敗することによって国力を衰退させていくことになり、
レウクトラの戦いにおけるスパルタへの勝利によって新たにギリシア世界の覇権を手にすることになったテーバイもまた、紀元前362年に起きたマンティネイアの戦いにおいて、それまでの快進撃を導いてきた名将エパミノンダスを失うことによってその後は凋落の一途をたどっていくことになります。
そして、ギリシア本土においてアテナイやスパルタやテーバイといった都市国家同士の分立と抗争による疲弊と衰退が続いていくなか、ギリシアの北方の地において新たな勢力となるマケドニアが台頭していくことになるのです。
マケドニアの建国とドーリア人との関係
そもそも、古代ギリシア世界におけるマケドニアの起源は、紀元前1200年ごろにはじまるギリシア人の一派であったドーリア人たちによる南方への民族移動にまでさかのぼることができると考えられ、
ギリシア北方の山岳地帯から南方のギリシア本土、そして、ペロポネソス半島へと侵入していったドーリア人たちは、先進文明であったミケーネ文明の諸都市を武力によって制圧していったうえで、
ペロポネソス半島の各地にスパルタやアルゴスやメッセニアといった都市国家を建設していくことになります。
そしてその一方で、ドーリア人たちのなかには、南方への民族移動には参加せずに北方の山岳地帯にとどまった人々もいたと考えられ、
そうしたギリシア本土への民族移動には加わらなかったドーリア系のギリシア人たちの手によって紀元前700年ごろにアルゲアス朝と呼ばれる王朝を最初の王朝とするマケドニア王国が建国されることになったと考えられることになるのです。
ギリシア神話におけるマケドニアの起源とアルゲアス朝の名前の由来
ギリシア神話においては、アルゴスやスパルタやメッセニアといったペロポネソス半島におけるドーリア系の都市国家は、
アマゾンの女王や地獄の番犬ケルベロスとの戦いといった十二の功業などで名高いギリシア神話最大の英雄であるヘラクレスの子孫にあたるテーメノスとクレスポンテースとアリストデーモスの三兄弟によってそれぞれ建国されたと伝えられているのですが、
これらの国々と同じくドーリア人よって建設された王国であったマケドニアの人々は、自分たちの王国の起源もまたそうしたギリシア神話における英雄ヘラクレスの存在へとさかのぼることができると主張していたと考えられています。
そして、マケドニアの最初の王朝を築くことになったアルゲアス家の人々は、そうしたヘラクレスの子孫にあたる三兄弟のなかでも、アルゴスを建国したテーメノスの血をひくことを自称していたため、
こうしたヘラクレスの子孫にあたるテーメノスによって建国されたと伝えられているギリシアの都市国家であるアルゴスの名をとって、アルゲアスという王朝の名がつけられることになったと考えられることになるのです。
ギリシアの周辺国としてのマケドニアの地位とギリシア本土との交流
そしてその後、長い間、マケドニアは、ペルシアを中心とする東方世界と、アテナイやスパルタといったギリシア本土の都市国家の中間に位置することによって、ギリシアの周辺国としての地位にとどまり続けることになり、
ペルシア人たちからはギリシア側の国とみなされる一方で、ギリシア人たちからはペルシアに近い異国の人々とみなされることによって異民族や異邦人のことを意味するバルバロイという言葉で呼び表されていくことになります。
しかしその一方で、森林地帯が広がるマケドニアは、伐採によって樹木が乏しくなっていたアテナイなどのギリシア本土の都市国家に対して船の材料となる木材を供給することなどによって、
建国当初の首都であったアイガイを中心に経済的に発展していくと同時に、ギリシア本土の都市国家との交流を深めていくことになるのです。