マンティネイアの戦いにおけるエパミノンダスの死とテーバイの覇権の終焉:スパルタとアテナイの同盟と盟友ペロピダスの死
前回書いたように、レウクトラの戦いにおけるテーバイ軍のスパルタ軍に対する圧倒的な勝利によって、古代ギリシアの覇権はスパルタの手からテーバイの手へと移っていくことになります。
そしてその後、勢いに乗るテーバイを中心とするボイオティア同盟軍の進撃によって、スパルタの経済の要となる支配地であったメッセニアが解放されることによってスパルタの国力は大きく衰退していくことになるのですが、
こうしたテーバイによるギリシア世界の支配はそれほど長く続いていくことはなく、その勢いにはすぐに陰りが見えていくことになるのです。
スパルタとアテナイの同盟とエパミノンダスの盟友ペロピダスの死
紀元前371年のレウクトラの戦いにおけるテーバイの名将であったエパミノンダスが率いるテーバイ軍のスパルタ軍に対する圧倒的な勝利ののち、
勢いに乗るテーバイ軍のペロポネソス半島への侵攻によって国家としての存亡の危機へと立たされることになったスパルタは、宿敵であったアテナイと手を結ぶことによって態勢の立て直しを試みていくことになります。
そしてそうしたなか、テーバイ軍は、テッサリアの南東部に位置するペラエの僭主であったアレクサンドロスとの戦いにおいて勝利することによってテッサリアからマケドニアへと至るギリシアの北方の地域における覇権を確立していくことになるのですが、
こうしたペラエの僭主アレクサンドロスの征討のために行われた紀元前364年のキュノスケファライの戦いでは、
エパミノンダスの盟友であったペロピダスが敵軍の大将を討つために敵陣へと突撃していった際に、深追いしすぎることによって戦死してしまうことになるのです。
マンティネイアの戦いでのテーバイ軍の勝利とエパミノンダスの死
そしてその後、ペロポネソス半島中央部のアルカディア地方に位置するマンティネイアにおいて、この地の南方に位置するテゲアとのあいだで紛争が起きると、
マンティネイアの人々はテーバイに救援を要請したのに対して、テゲアの人々はスパルタとアテナイに救援を要請することになります。
そして、こうしたマンティネイアの人々からの援軍要請に応えて、テーバイから名将エパミノンダスが率いる遠征軍が派遣されることによって、
テーバイを中心とするボイオティア同盟の3万3000の軍勢と、アテナイとスパルタの連合軍の2万3000の軍勢がマンティネイアの地において対峙することになります。
こうして紀元前362年に起こることになったマンティネイアの戦いにおいては、テーバイの名将エパミノンダスが率いるテーバイ軍が全体としては優勢に戦いを進めていくことになるのですが、
それに対して、アテナイとスパルタの連合軍は、劣勢な戦況に立たされながらも、テーバイ軍の主柱となっているエパミノンダスの本隊に対する集中攻撃を行うことによって戦況の打開を図っていくことになります。
次々と一直線に自分のもとへと向かってくる敵兵による包囲攻撃を受けることになったエパミノンダスは、それでも進軍の歩みを止めることなく果敢に戦い続けていき、
自分に向かって雨のように降り注ぐ無数の矢を薙ぎ払い、敵兵が投げつけてくる槍を奪い取って投げ返していくなか、敵軍の将校の一人を討ち取りさえすることになるのですが、
そうした激闘のさなか、敵軍の後方から放たれた長槍がエパミノンダスの胸を真っ直ぐに貫くことによって死へと至る傷をその身に受けることになります。
しかし、こうして自らの軍の大将であるエパミノンダスを失うことになってもなおテーバイ軍の勢いはとどまることがなく、むしろ自分たちの大将の命を奪った敵軍に対する怒りによってその勢いはさらに増していくことになり、
テーバイ軍の激しい攻勢によって押し返されていくことになったスパルタの軍勢が総崩れとなり敗走していくことによって、戦いそのものはテーバイ軍の勝利に終わることになるのです。
エパミノンダスの最期の言葉とテーバイの没落
そして、致命傷を負ったのち、戦場を離れてテーバイ軍の野営地へと担ぎ込まれ、部下たちから戦況を聞かされることになったエパミノンダスは、
「私は将軍としての最高の生涯を全うすることになる。なぜなら敗北を知らずに死を迎えることができたのだから。」
と語ることによって、最期の時まで、自分と共に戦ってきた戦友と兵士たちを讃えて力づける言葉を残して死を迎えることになったとも伝えられています。
しかしその一方で、こうしたマンティネイアの戦いにおけるテーバイ軍の奮戦と劇的な勝利にも関わらず、その後のギリシア世界におけるテーバイの覇権は長続きすることはなく徐々に衰退の道へと向かっていくことになります。
レウクトラの戦いでの勝利にはじまるテーバイの覇権への道は、エパミノンダスとその盟友であるペロピダスという二人の名将の卓越した才覚と武の力によって切り拓かれたものであったため、
そうしたテーバイ軍の勝利の立役者となった二人の名将の命が失われることになった時、その力によってもたらされていたテーバイの覇権そのものもまたついえてしまうことになったと考えられることになるのです。