テーセウスの船のギリシア神話における由来とは?アテナイの英雄の祖国への帰還に用いられた30本の櫂を持つ木造船
テーセウスの船、あるいは、テーセウスのパラドックスと呼ばれる議論は、一言でいうと、
「ある船を構成しているすべての部品が新しい部品へと交換されてしまった後でも、その船は元の船と同じ船であると言えるか?」
という事物の同一性をめぐる哲学的な議論のことを意味することになります。
そして、
こうしたテーセウスの船と呼ばれる哲学的な議論は、もともとは、以下のようなギリシア神話の物語が土台となることによって生まれていくことになった議論であると考えられることになります。
ギリシア神話におけるテーセウスの船の由来とアテナイの英雄の祖国への帰還
ギリシア神話に登場するアテナイの英雄であるテーセウスは、
クレタ島において牛頭人身の怪物であったミノタウロスを倒して、この怪物が閉じ込められていたラビュリントスと呼ばれるクレタの迷宮を脱出したのち、
テーセウスの恋人となったクレタの王女であったアリアドネと共に、ミノタウロスのもとから救出したアテナイの子供たちを連れて、船に乗ってアテナイへと帰還していく船旅へと赴いていくことになります。
そして、
こうしたアテナイへと帰還するテーセウスの船旅の途上では、彼らが途中で立ち寄ることになったエーゲ海の南の島であったナクソス島において、酒の神であったディオニュソスによってアリアドネが連れ去られてしまうことによって、
テーセウスは彼女と生き別れになったまま、失意のうちにアテナイへと向けて再び船を進めていくことになるのですが、
その後、ミノタウロスへと捧げられていたアテナイの子供たちを連れて、無事に祖国へと帰還することになったテーセウスは、アテナイの人々から熱烈な歓迎をもって迎えられることになります。
そして、その後、
アテナイの王の座へと就くことになったテーセウスは、
それまで四つの領域に分かれていたアテナイの国を一つに統一することによって、アテナイの伝説的な建国の祖としても位置づけられていくことになるのですが、
こうしてアテナイの建国の英雄ともなったテーセウスが、ミノタウロスを倒してクレタの迷宮から子供たちを救出したのちに、アテナイへと帰還する船旅の際に乗っていたとされる30本の櫂を持つ木造船は、
その後、アテナイの人々からテーセウスの船と呼ばれて崇められていくことなり、国の宝として大切に保管されていくことになったと考えられることになるのです。
テーセウスの船という言葉が哲学的な議論のことを意味する言葉として用いられるようになった理由
そして、
こうしてアテナイの人々からテーセウスの船として崇められていくことになった30本の櫂を持つ木造船は、紀元後1世紀の帝政ローマ期のギリシアの歴史家であったプルタルコスの記述によれば、
上述したギリシア神話の物語において語られているテーセウスの船旅が行われてから少なくとも数百年の時が経った時代に生きていた
紀元前4世紀のアテナイの政治家であり、アリストテレスを祖とするペリパトス学派(逍遥学派)の哲学者であったファレロンのデメトリウスの時代にまで保管されていたと伝えられています。
しかし、
こうしたテーセウスの船と呼ばれるアテナイの木造船は、船を構成する木材が腐食して朽ちていくたびに、新しい木材へと部品が置き換えられていき、
テーセウスが実際に船旅を行ったとされる時代から1世紀ほど後の時代になると、船に付いている30本の櫂を含む、船を構成しているすべての木材が新しい木材へと置き換えられてしまうことになったとも語り伝えられています。
そして、その当時から、
古代ギリシアの哲学者たちの間では、こうしたテーセウスの船と呼ばれるアテナイの木造船は、
このように30本の櫂を含むすべての木材が新しい木材へと置き換えられてしまった後になっても、果たしてその船は元と同じテーセウスの船と言えるのか?
ということについての哲学的な議論が示されることになっていったと考えられ、
その後、
こうしたギリシア神話の英雄テーセウスが乗っていたとされる30本の櫂を持つアテナイの木造船のことだけではなく、その船をめぐる哲学的な議論そのものを意味する言葉として、
テーセウスの船という言葉が用いられていくようになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:テーセウスの船の哲学的な解釈①アリストテレスの四原因説に基づく四つの観点から見た船の同一性の解釈
前回記事:アテナイの伝説上の建国の祖となった英雄テーセウスと四王国の統一、ギリシア神話の英雄テーセウスの物語⑧
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