ヘラクレスの第八の功業におけるディオメデスの人喰い馬の強奪とヘラクレスの友人アブデロスの死、ヘラクレスの十二の功業⑧
前回書いたように、ミケーネの王であったエウリュステウスの命令によって、第七の功業にあたるクレタの牡牛の捕獲へと赴いていった英雄ヘラクレスは、
かつてフェニキアの王女であったエウロパに恋したゼウスの化身となった聖なる牡牛の末裔であるとも、
クレタのミノス王の妻であったパシパエとの間に牛頭人身の怪物であるミノタウロスを生むことになった牡牛でもあるとも言われているこの美しくも凶暴な牡牛を素手での格闘の末に見事に捕らえて見せることになるのですが、
その後、ギリシア本土において野へと放たれて自由になることになったクレタの牡牛は、現在のマラソン競技の起源ともなったマラトンの地へと流れ着くことになったとも語られています。
第八の功業であるディオメデスの人喰い馬の強奪へと赴く英雄ヘラクレス
そして、その次に、
ミケーネの王であったエウリュステウスは、ヘラクレスに対して与える第八の難行として、今度はディオメデスの人喰い馬を連れてくるように命じることになります。
ギリシアから見て北東の方角に位置するトラキア地方に住んでいたとされているビストーン族の王であったディオメデスは獰猛で巨大な馬を飼っていって、
好戦的な蛮族であった彼らは、この巨大な馬に与えるための餌として、飼葉桶に入れられたまぐさと共に人間の肉を与えていたとも語り伝えられています。
そして、
こうした人の肉を食らうと言われているトラキアの巨大な馬に興味を持ったエウリュステウスは、ぜひともひと目その馬の姿を見てみたいと考えて、
ヘラクレスにこの馬を捕らえて自分の目の前に連れてくるように命じることになったと考えられることになるのです。
ヘラクレスの友人であったアブデロスの死と都市アブデラの建設
そして、
エーゲ海を越えていく航海の旅を経て、トラキアの地へとたどり着いたヘラクレスは、この地でディオメデス王が飼っている人喰い馬の世話をしている者たちを見つけ出し、彼らを力でねじ伏せて馬を奪い取ることに成功することになるのですが、
馬を強奪されたことを知って激怒したディオメデス王は、自分の配下にあったビストーン人の兵たちを連れて馬を奪い返しに追い駆けてきたため、
ヘラクレスは、彼らから奪い取った巨大な人喰い馬を自分の従者であり彼の友人でもあったアブデロスという名の少年に預けて、ビストーン人たちの軍勢を迎え討つために陸へと戻っていくことになります。
そして、その後、ヘラクレスは、
追い駆けてきたビストーン人の兵をすべて打ち倒し、彼らの王であったディオメデスの首を取ることによってこの戦いに勝利をおさめることになるのですが、
ヘラクレスが追っ手と戦っている間に、暴れる人喰い馬を押しとどめておくことができなくなってしまったアブデロスは、そのままこの怪力を持つ人喰い馬に引きずられて殺されてしまうことになります。
そして、このことに深く心を痛めたヘラクレスは、
人喰い馬を連れてミケーネの地へと戻る前に、殺されてしまった友人であるアブデロスのために、彼が死んだトラキアの地に墓を建て、
決してその名が忘れられることがないように、その墓の近くに彼の名が冠されたアブデラと呼ばれる都市を建設することになるのです。
女神ヘラの神馬となったともオリュンポス山で野獣に食い殺されたとも伝えられている人喰い馬のその後の行方
そして、その後、
ヘラクレスがミケーネの王であるエウリュステウスのもとへとこの人喰い馬を連れていくと、
エウリュステウスは、この人喰い馬を女神ヘラに捧げるための神馬として重宝して、その馬の血筋は、マケドニアのアレクサンドロス大王の時代にまで長く引き継がれていくことになったとも、
彼は、この人喰い馬の姿を実際に目にしてみると、人間の肉を食らって生きているその姿が非常におぞましく恐ろしいものに思えて気味が悪くなってしまったため、すぐにこの馬を町の外へと放ってしまい、
その後、
それまで多くの人々を食い殺してきたこの人喰い馬は、テッサリア地方にそびえ立つオリュンポス山のあたりまで走って行ったのち、この地で今度は自分の方が野獣に食い殺されることになってしまったとも語り伝えられているのです。
・・・
次回記事:ヘラクレスの第九の功業におけるアマゾンの腰帯の強奪と女王ヒッポリュテの悲劇、ヘラクレスの十二の功業⑨
前回記事:ヘラクレスの第七の功業におけるクレタの牡牛との格闘とマラトンの地へと流れ着く聖なる牡牛、ヘラクレスの十二の功業⑦
「ギリシア神話」のカテゴリーへ