マラソンが平和の祭典であるオリンピックの最後を飾る競技となった理由とは?恒久的な平和と一時的な休戦としての平和の違い
平和の祭典としても位置づけられている現代のオリンピックにおいては、2020年の東京オリンピックの競技日程においても、
大会の閉会式が行われることになるオリンピックの最終日にあたる8月9日に、マラソン競技が行われることになっているように、
42.195kmを走る長距離走の種目にあたるマラソン競技が、そうしたオリンピック大会の最後を飾る花形競技として位置づけられることが多いと考えられることになります。
それでは、このように、マラソン競技が平和の祭典にもあたるオリンピックの最後を飾るのに最もふさわしい競技として位置づけられることになっていたのには、具体的にどのような理由があると解釈していくことができると考えられることになるのでしょうか?
古代ヨーロッパ世界に恒久的な平和をもたらしたマラトンの戦い
そうすると、まず、
こうした現代のオリンピックにおけるマラソン競技の大本の由来は、古代ギリシアにおいて強大な専制国家であったペルシア帝国による侵略からギリシア世界を守り切った戦いにあたるマラトンの戦いに求められることになると考えられ、
そうした古代ギリシアのマラトンの戦いにおいて、強大なペルシア帝国に対するギリシア軍側の勝利の吉報を告げ知らせるために、戦場であったマラトンからアテネまでの40kmほどの道のりを全力で走り切ったのち、
アテネへと到着して使者としての役割を果たすと同時に力尽きて命を落とすことになってしまったアテネの使者について語られている古代ギリシアの故事が直接的な由来となることによって、
こうした42.195kmを走っていく長距離走の種目としてのマラソン競技と呼ばれる陸上種目のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになります。
そして、
こうしたマラソン競技の大本の起源となった古代ギリシアのマラトンの戦いにおいては、
強大な専制国家であったペルシア帝国による侵略からギリシア世界を守ることによって、古代のヨーロッパ世界に恒久的な平和がもたらされることになったとも考えられることになるのです。
古代オリンピックと近代オリンピックにおける平和の性質の違い
そして、このように、
マラソン競技を含むオリンピックの競技と、戦争や平和といった概念との関係のあり方について詳しく考察していった場合、
マラソン競技が新たに導入されることになった近代オリンピックと、それ以前に行われていた古代オリンピックにおいては、そうした平和という概念の捉え方に方向性の違いが生じていくことになったとも解釈していくことができると考えられることになります。
現代のオリンピックにおけるマラソン競技がいまだ取り入れられていなかった古代ギリシア時代のオリンピックにあたるオリンピアの祭典においても、
ギリシア神話の主神ゼウスへと捧げられた神聖な競技大会にあたるオリンピアの祭典が開催される月は神聖なる月の期間として位置づけられていて、
そうした神聖なる月の期間には、オリンピアの祭典に参加することになっているギリシアの都市国家は、互いに敵対行為をやめて平和を維持するという事実上の休戦協定を結ぶことになっていたと考えられることになるため、
こうした古代ギリシアにおけるオリンピアの祭典の段階においても、オリンピックと呼ばれる競技の祭典は、すでに平和の祭典としての一定の役割を果たしていたと考えられることになります。
しかし、その一方で、
こうした古代オリンピックの段階における平和とは、あくまでも、オリンピックの開催期間中だけに限って都市国家間の戦いを一時的に停止するという戦争と戦争の間の休戦期間としての平和のことを意味していて、
古代ギリシアの都市国家たちは、そうした一時的な停戦期間としてのオリンピックの期間が終わると、すぐにまた新たな戦争を開始することになっていたとも考えられることになります。
そして、そういった意味では、
現代のオリンピックにおけるマラソン競技の由来となったマラトンの戦いにおけるギリシア軍の勝利は、ペルシア帝国という外部からの侵略を退けることによって、古代ギリシア世界に恒久的な平和がもたらされたことを意味するのに対して、
古代のオリンピックにあたるオリンピアの祭典によってもたらされていた平和は、あくまでも、都市国家同士の戦いの一時的な休戦期間としての平和を意味していたと考えられるといった点に、
両者における平和という概念自体の根本的な性質の違いを見いだしていくことができるとも考えられることになるのです。
マラソンが平和の祭典にあたるオリンピックの最後を飾るのに最もふさわしい競技として位置づけられる理由
そして、以上のように、
マラソン競技が平和の祭典にもあたる現代のオリンピックの最後を飾るのに最もふさわしい競技として位置づけられることになった具体的な理由については、
マラソン競技がまだ導入されていなかった古代のオリンピックの段階においては、平和とは戦争と戦争の間の休戦期間のことを意味していたと考えられるのに対して、
マラソン競技の大本の起源となった古代ギリシアのマラトンの戦いは、強大な専制国家であったペルシア帝国による侵略からギリシア世界を守ることによって、古代ヨーロッパ世界に恒久的な平和がもたらされることになった戦いとして位置づけられるという点において、
こうしたマラソンと呼ばれる古代ギリシアのマラトンの戦いを大本の起源とする陸上競技が、
恒久的な平和としての真の平和を求める祭典としての現代のオリンピックを締めくくるのに最もふさわしい競技として位置づけられることになっていったとも解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:英雄ペルセウスの誕生と母である王女ダナエーとの漂流の旅、古代ギリシア神話の英雄ペルセウスの物語①
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