聖火リレーと聖火ランナーの由来と大本の起源とは?古代ギリシアと近代ドイツにおける二つの起源
オリンピックの聖火を大会の開催都市へと運んでいく聖火リレーは、直接的な起源としては、ナチス政権時代のドイツで行われた1936年のベルリンオリンピックからはじまることになるのですが、
その一方で、こうした世界の各地へと平和の祭典にあたるオリンピックの開催を告げ知らせていく平和の使者としての聖火ランナーの大本の起源については、
古代のオリンピックにあたるギリシアのオリンピアの祭典のうちにもその原型となる存在を見いだしていくことができると考えられることになります。
近代ドイツのナチス政権下のベルリンオリンピックにおける聖火リレーの開催
そうすると、まず、
こうした現代のオリンピックにおける聖火リレーの直接的な起源となったと考えられる1936年のベルリンオリンピックにおいては、
オリンピックの聖火は、古代オリンピックの発祥地であるギリシャのオリンピアの地において聖火の採火式を行ったのち、
ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアといったヨーロッパ諸国をめぐっていったのちに、ドイツの首都ベルリンへと到着することになります。
そして、
こうした1936年のベルリンオリンピックの聖火リレーにおいては、当時のナチス政権下にあったドイツを支配していたアドルフ・ヒトラーが、
古代ギリシアとローマにはじまるヨーロッパ文明の正統なる後継者としてアーリア人そしてゲルマン民族の血を引く純血のドイツ人が君臨することになるということを世界に知らしめていくためのプロパカンダの一環として、
こうした平和の祭典としてのオリンピックの開催を告げ知らせる使者としての聖火リレーが利用されてしまうことになったとも考えられることになるのです。
古代ギリシアのオリンピアの祭典における休戦を告げ知らせてギリシア各地をめぐる平和の使者の存在
しかし、その一方で、
冒頭でも述べたように、こうした平和の使者としての聖火ランナーの原型となる存在は、古代のオリンピックにあたるギリシアのオリンピアの祭典のうちにも見いだしていくことができると考えられることになります。
古代ギリシアにおいてオリンピアの祭典が開催される際には、神聖な競技の祭典にあたるオリンピアの祭典に参加するギリシアの各都市国家は、互いに敵対行為をやめて平和を維持するという事実上の休戦協定が結ばれることになっていたのですが、
そうしたオリンピアの祭典が開催されることになる神聖な停戦期間の直前の時期になると、祭典の開催地であったオリンピアの地からは、
スポンドフォロイ(spondophoroi)と呼ばれる3人の聖なる伝令者たちが、オリンピアの祭典へと参加するギリシア各地の都市国家を巡って走っていくことになっていて、
こうした古代オリンピックにおける聖なる伝令者たちは、オリンピアの祭典が行われる神聖な月の期間が訪れたことを告げて各都市に休戦と平和を呼びかけていくと同時に、競技大会への機運を高めていくという平和の使者としての役割を担っていたと考えられることになるのです。
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以上のように、
オリンピックの聖火リレーの由来については、ナチス政権時代のドイツで行われた1936年のベルリンオリンピックにおける
ギリシアのオリンピアの地を出立してヨーロッパ諸国をめぐってドイツの首都ベルリンへと到着するというルートをたどっていったリレーのあり方にその直接的な起源が求められることになるのですが、
その一方で、こうした世界の各地へと平和の祭典にあたるオリンピックの開催を告げ知らせていく平和の使者としての聖火ランナーの大本の起源については、
古代のオリンピックにあたるギリシアのオリンピアの祭典の直前にオリンピアの地を出立したのちに、ギリシア各地の都市国家を巡って走っていくことになっていた古代の聖なる伝令者たちのうちにも、
そうした平和の使者としての聖火ランナーの原型となる存在を見いだしていくことができると考えられることになるというように、
こうしたオリンピックの聖火を大会の開催都市へと運んでいく現代のオリンピックにおける聖火リレーと聖火ランナーの由来については、
古代ギリシアと近代ドイツにおける二つの起源となる存在を見いだしていくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:オリンピックにマラソン競技が導入された具体的な理由とは?古代ギリシアにおける自由主義と民主主義の勝利を象徴する競技
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