マラトンの戦いの使者として二人の人物の名が挙げられる理由とは?フェイディピデスとエウクレスというアテネの二人の使者
前回の記事で書いたように、現代のオリンピックにおけるマラソン競技の起源となった古代ギリシアのマラトンの戦いにおいて、
マラトンの戦場から援軍を求めてスパルタまで走り、その後、一度、マラトンまで戻ってから、今度は、マラトンの戦いにおけるギリシア軍の勝利を人々へと告げ知らせるために、すぐにアテネへと走っていき、
「我らは勝てり」という勝利を告げ知らせる言葉を残して、そのまま力尽きて命を落とすことになってしまったとされているアテネの使者の名前としては、フェイディピデスと呼ばれる人物の名が挙げられることになるのですが、
その一方で、後代の歴史家たちが書き記した書物のなかでは、こうしたアテネ軍の使者の名前としては、エウクレスと呼ばれる人物の名も挙げられることになります。
それでは、こうしたマラトンの戦いの勝利を告げる使者として、フェイディピデスとエウクレスという二人の人物の名前が語り伝えられていくことになっていったのには、具体的にどのような理由があったと考えられることになるのでしょうか?
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによるフェイディピデスについての記述
そうすると、まず、
こうした紀元前490年に起きたマラトンの戦いにおけるアテネ軍の使者の名前についての言及がはじめてなされているのは、
マラトンの戦いが起きた時とほぼ同時代のギリシア世界に生きていたと考えられる紀元前5世紀の古代ギリシアの歴史家であったヘロドトスの『歴史』 と呼ばれる書物においてであり、
古代ギリシアの歴史家であったヘロドトスは、マラトンの戦いにおける援軍を要請するためにスパルタにまで走っていき、
ギリシア全土の結束を訴える演説によってスパルタの人々の心をゆり動かし、援軍の約束をとりつけたアテネ軍の使者の名前として、フェイディピデス(Pheidippides)という人物の名を挙げています。
しかし、
こうしたマラトンの戦いについての詳細な記述がなされた最初の歴史的資料にあたるヘロドトスの『歴史』のなかでは、
その後、このアテネ軍の使者が、いったんマラトンの戦場へと走り戻ったのち、再びアテネへと向けて出立することになり、この地において勝利を告げ知らせる叫びの言葉と共に、命を落としてしまうことになったという、
冒頭でも述べたマラソンの起源となったアテネ軍の使者の力走についての物語は、いっさい語られていないと考えられることになるのです。
古代ローマの歴史家プルタルコスによるエウクレスについての記述
それでは、
こうしたマラソンの起源となったアテネ軍の使者の力走についての物語が、歴史的な資料のなかではじめて語られることになるのは、いったいいつの時代のことになるのか?ということについてですが、
それについては、
紀元後1世紀の帝政ローマの時代のギリシアの歴史家であったプルタルコスの『アテネの栄光について』 と題された書物において、そうした物語についての明確な形での最初の言及がなされていると考えられることになります。
そして、
こうした帝政ローマ期の歴史家であったプルタルコスは、
マラトンの戦場からアテネまで走りきって、人々に勝利の知らせを告げ知らせることになったアテネの使者の名前としてエウクレス(Eukles)と呼ばれる人物の名を挙げることになるのです。
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以上のように、
紀元前5世紀の古代ギリシアの歴史家であったヘロドトスは、マラトンの戦いの前に援軍を要請するためにマラトンからスパルタへと走った使者の名前としてフェイディピデスの名を挙げているのに対して、
紀元後1世紀の帝政ローマ期のギリシアの歴史家であったプルタルコスは、マラトンの戦いにおけるギリシア軍の勝利を人々に告げ知らせるためにマラトンからアテネへと走った使者の名前としてエウクレスの名を挙げていると考えられ、
それに対して、
フェイディピデスという一人の人物がアテネの使者としてマラトンからスパルタだけではなく、マラトンからアテネまで走る役目を務めることになったという話についての言及がはじめてなされるのは、その後の
紀元後2世紀の帝政ローマの時代のシリアの修辞学者にして詩人や風刺作家でもあったルキアノスが書き残したとされている一連の散文詩においてであると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうしたヘロドトスが語るフェイディピデスの物語と、プルタルコスが語るエウクレスの物語というマラトンの戦いにおけるアテネの使者に関する二つの物語が歴史の流れのなかで互いに結びつけられていくことによって、
マラトンからスパルタそしてアテネまでの道のりを一人で走破して、人々にマラトンの戦いの勝利を告げる言葉を叫んだのちに命を落とすことになったという
現代のマラソンの起源となるアテネの使者の力走の話についての原型となる物語が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:マラソンの起源となったアテネの使者の力走と死の物語が最初に語られている古代ローマの詩人ルキアノスの散文詩の内容とは?
前回記事:マラトンの戦いの使者がマラソンよりも長い距離を走ったとされる理由とは?全長520kmにおよぶフェイディピデスの伝令の旅
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