マラソンの起源となったアテネの使者の力走と死の物語が最初に語られている古代ローマの詩人ルキアノスの散文詩の内容とは?
前回の記事で書いたように、紀元前490年のマラトンの戦いにおいて、戦場となったマラトンからスパルタそしてアテネまでの道のりを一人で走破して、人々にマラトンの戦いの勝利を告げる言葉を叫んだのちに命を落とすことになったという
現代のマラソンの起源となるアテネの使者の力走の話についての原型となる物語がはじめて語られているのは、古代ローマの詩人であったルキアノスが書き残したとされている一遍の散文詩においてであったと考えられることになるのですが、
それでは、
こうした古代ローマの詩人ルキアノスが書き残したとされている散文詩においては、具体的にはどのような形で、マラソンの起源となったマラトンの戦いにおけるアテネの使者についての最初の物語についての言及がなされていると考えられることになるのでしょうか?
古代ローマの詩人ルキアノスの散文詩においてアテネの使者フェイディピデスが残した最期の言葉
冒頭でも述べたように、
現代にまで伝われるマラソンの起源となるアテネの使者の力走の話についての直接的な由来となる物語についての最初の言及がなされているのは、
マラトンの戦いについての詳細な記述がなされた最初の歴史的資料にあたる紀元前5世紀の古代ギリシアの歴史家であったヘロドトスの『歴史』が書き記されてから600年ほど後の時代にあたる
紀元後2世紀の帝政ローマの時代のシリアの修辞学者にして詩人や風刺作家でもあったルキアノスが書き残したとされている散文詩においてであると考えられることになるのですが、
帝政ローマ期の詩人であったルキアノスは、そうしたマラトンの戦いについて書かれた一遍の散文詩のなかで、
具体的には以下のような形で、アテネの使者の力走とその死についての物語を想像力豊かに描いていくことになります。
・・・
使者としての役割を果たしたフェイディピデスは、戦いがどのように終わったのかを深く心配するアテネの人々の前へと進み出て、マラトンの戦いの勝利を告げ知らせる言葉を叫んだ。
「喜びを。我らは勝ったのだ。」彼はそう言った。
そして、彼はその言葉と共に死んだ。
彼は「喜びを」というその一言ののちに彼の人生における最後の息をついたのである。
・・・
つまり、上記のルキアノスの散文詩においては、
より正確に言えば、
マラトンからスパルタへ、そして、そこから一度はマラトンへと走り戻ってから、マラトンからアテネへと再び走っていくという全部で合わせて520kmほどの距離をほとんど休まずに全力で走り続けていくことになったとされているアテネの使者であったフェイディピデスは、
疲労困憊となって、息も絶え絶えになりながら、最後の力をふり絞って「喜びを」という言葉を発したのち、そこで彼の人生における最後の息を吸い、
「我らは勝ったのだ」という喜びの知らせを告げ知らせる言葉と共に、自らの人生における最後の息を吐くことによって、
アテネの人々と自らの心の内なる歓喜のうちに、その人生を終えることになったということが語られていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:マラトンの戦いの勝利を伝えて死んだ使者のために捧げられたイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの詩の和訳と解釈
前回記事:マラトンの戦いの使者として二人の人物の名が挙げられる理由とは?フェイディピデスとエウクレスというアテネの二人の使者
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