古代オリンピックの女性の最初の優勝者とは?スパルタの王女キュニスカの勝利を記念した碑文とその後の女性の優勝者たち
古代ギリシアのオリンピアの祭典を中心とする古代のオリンピックにおいては、オリンピアの祭典が男神であるゼウスを祀る祭典でもあったことから、
競技への参加者は、奴隷を除く自由人の成人男子に限られたうえで、基本的には、衣服をまとわない全裸の状態で競技に挑むことが通例となっていたと考えられることになるのですが、
その一方で、
少し変則的な形であるものの、競技の性質上、例外的に女性の参加者が認められていた競技も存在していて、
紀元前396年と392年における古代オリンピックの大会においては、戦車競走の競技において、キュニスカという名の女性が優勝者となったという記録が残されています。
それでは、いったい、
具体的にはどのような経緯から、こうしたキュニスカという名の女性は、古代オリンピックにおける最初の女性の優勝者としての栄誉を勝ち得ることになっていったと考えられることになるのでしょうか?
スパルタにおける体育を重視する文化的な風土と王女キュニスカ
キュニスカ(Κυνίσκα)は、紀元前5世紀のスパルタ王であったアルキダモス2世の娘として生まれることになるのですが、
幼少期の彼女は、スパルタの王位を継いでいくことになる兄弟たちと共に、王族にふさわしい力強い肉体と心を育んでいくように特別な教育と訓練を受けて成長していくことになっていったと考えられることになります。
一般的に、
古代ギリシアにおいては、女性は、戦闘や乗馬、狩りやスポーツといった激しい運動を伴う行事や作業からは隔絶されていたと考えられることになるのですが、
その一方で、
国民皆兵制度のもとで鍛え上げられた力強い肉体と強大な軍事力を背景として、アテナイと共に、ギリシア世界の覇権を担っていたスパルタにおいては、
そうした力強い戦士を自らの手で生み育てていくために、女性に対しても、子供時代には、男子と同様に一定の体育訓練が課されていたと考えられることになります。
そして、
王女キュニスカは、そうしたスパルタ独特のある種の男女平等とも言える体育を重視する文化的な風土のもと、女性の身でありながら戦闘や乗馬の訓練を積んでいくことになっていったと考えられることになるのです。
スパルタの王女キュニスカが戦車競走の優勝者となった理由
そして、その後、
馬の育成と馬術の道において才能を開花させていくことになったスパルタの王女キュニスカは、自らの手で数多くの馬を育て上げ、乗馬の技術を磨いていくことによって、その中でも選りすぐりの四頭の駿馬を鍛え上げ、
戦車の御者となる男を雇ったうえで、古代オリンピックにおけるテスリッポンと呼ばれる四頭立ての戦車による戦車競走の競技へと参加して勝利をおさめることになります。
ちなみに、
古代ギリシアにおいては、もともと、戦車の御者は、馬の所有者である主人の奴隷や部下といった格下の立場にある人物がその役を務めることになっていて、
実際の戦争においても、戦士としての責務と栄誉を担うのは、御者の後方で槍や弓といった武器を持って戦うことになる馬の所有者にあたる貴族や兵士の側であるとされていたため、
戦車競走における勝利者としての栄誉を得るための正統な権利も、一義的には、競技において戦車を実際に操っていた戦車の御者に対してではなく、その戦車を引く馬の所有者にあたる人物へと与えられることになっていたのですが、
スパルタの王女キュニスカは、こうした古代オリンピックにおける戦車競走についての取り決めにしたがって、戦車を引く駿馬を育てた馬主または馬術家としての資格においてこの競技へと参加して優勝者としての栄誉を受けることになったと考えられることになるのです。
キュニスカの勝利を記念した碑文の文言と古代オリンピックにおけるその後の女性の優勝者たち
そして、その後、
こうした紀元前396年と392年に開催された古代オリンピックにおける二回にもわたる四頭立ての戦車による戦車競走における優勝を記念して、
スパルタの王女キュニスカは、自らが育て上げた駿馬と戦車とをかたどった青銅の像を、以下のような文言を記した碑文と共に、オリンピアのゼウス神殿へと奉納したと語られています。
・・・
スパルタの王を自らの父と兄弟とする者、
駿馬のひく戦車によって勝利したキュニスカがこの像を建てる。
私はここに宣言する。我こそがすべてのヘラスの地において、
この栄冠を勝ち得た唯一の女であるということを。
・・・
そして、
こうしたヘラスの地、すなわち、古代ギリシア人のことを意味するヘレネスが集うギリシア全土において、古代オリンピックにおける最初の女子の優勝者となったキュニスカの後の時代においても、
こうした古代オリンピックにおける戦車競走の競技においては、彼女の後を追うようにして、
エウルレオニス(Euruleonis)、ベリスティチェ(Belistiche)、ティマレータ(Timareta)、テオドタ(Theodota)、カッシア(Cassia)といった女性の優勝者たちの名前がしばしば現れていくことになっていったと考えられることになるのです。
・・・
次回記事:古代オリンピックのボクシング競技の具体的な競技内容とは?古代ギリシア語におけるピグマキアの意味と最初の優勝者の名前
前回記事:戦車競走(アルマトドロミア)とは何か?ギリシア語の語源に基づく具体的な意味とシノリスとテスリッポンという種目の違い
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