古代オリンピックのボクシング競技の具体的な競技内容とは?古代ギリシア語におけるピグマキアの意味と最初の優勝者の名前
前回までの記事で書いてきたように、古代ギリシアのオリンピアの祭典を中心とする古代のオリンピックにおいては、
スタディオン走とディアウロス走とドリコス走と呼ばれる古代の短距離走と中距離走と長距離走にあたる競技や、
重装歩兵の格好をして走る武装競走と、二頭立てまたは四頭立ての戦車を走らせる戦車競走といった速さを競う競走競技が主要な種目として位置づけられていたと考えられることになるのですが、
その一方で、
古代のオリンピックにおいては、こうした速さを競う競走競技のほかに、ボクシングやレスリングなどといった格闘競技に分類される競技も広く行われていたと考えられることになります。
古代ギリシア語におけるピグマキアの意味と古代オリンピックにおけるボクシング競技の最初の優勝者
そうすると、まず、このうち、
古代オリンピックにおけるボクシングにあたる競技は、古代ギリシア語ではピグマキア(πυγμαχία)と呼ばれていたと考えられることになるのですが、
こうした古代ギリシアにおけるボクシングのことを意味するピグマキア(πυγμαχία)という言葉は、語源的な意味においては、
古代ギリシア語において「拳」(こぶし)のことを意味するピグメ(πυγμή)という単語に、「戦い」のことを意味するマキア(μαχία)という接尾辞が結びつくことによってできた言葉であると考えられ、
それは、文字通り、拳闘としてのボクシングのことを意味する言葉であったと考えられることになります。
そして、
古代のオリンピックにあたるオリンピアの祭典においては、こうしたピグマキアと呼ばれる古代のボクシングにあたる競技は、紀元前776年に行われた第1回大会から数えて88年後の年にあたる
紀元前688年に行われた第23回大会において古代オリンピックにおける正式な種目として採用されることになったと考えられていて、
この大会において、古代オリンピックにおけるボクシング競技の最初の優勝者としてその名が刻まれることになったスミルナのオノマストス(Onomastus of Smyrna)は、
古代オリンピックにおけるボクシング競技の正式なルールを定めた人物であったとも語り伝えられているのです。
古代のオリンピックにおけるボクシング競技の具体的な競技内容とは?
そして、
こうしたピグマキアと呼ばれる古代のオリンピックにおけるボクシング競技にあたる競技種目においては、
古代のオリンピックにおける他の大部分の競技種目の場合と同様に、競技への参加者は、基本的には、下着すら身につけない全裸の状態で戦うことになっていたのですが、
競技者たちは、彼らが身につけることができる唯一のものとして、
互いを殴り合う際に、自らの拳と指の関節とを保護するために、ヒマンテ(himantes)と呼ばれる長さが3メートルにもおよぶ革製のひもを手や指の関節にグルグルと巻きつけたうえで勝負に挑むことが認められていました。
そして、
こうした古代オリンピックのボクシング競技においては、現代におけるボクシングの場合とは違い、選手たちの勝負の場を囲うリングもなければ、休憩をはさんで試合時間を区切るラウンドの規定もなく、
一度、競技に参加した拳闘士たちは、勝負が着くまで、時間無制限で互いのことを殴り合っていくことになっていたと考えられ、
競技のルールについては、相手に組みついたり、投げ飛ばしたりするレスリングにあたる行為や、相手の目を指で突くといった行為を除く、手や腕や肘などを用いたほとんどすべての打撃攻撃が認められていたと考えられることになります。
そして、
勝敗の決着については、時間制限もないため、判定勝ちによって勝者が決まることはなく、人差し指を伸ばした状態で手を上に挙げることによって対戦相手に対して降参の意思を示すか、打撃によって意識を失い戦闘不能の状態になるまで戦いが続いていくことになっていたと考えられ、
両者の疲労などによって競技があまりにも長引いてしまっている場合には、防御を行わずに無防備な状態で立っている相手に対して、相手が倒れるまで互いに一発ずつ代わる代わる殴り合うという形で勝敗を決することもあったと考えられることになるのです。
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