古代ギリシア最強の拳闘士とは?神官の一族に生まれ死後に神となったタソス島の拳闘士テオゲネスとロドス島のディアゴラス
前回の記事で書いたように、古代ギリシアのオリンピアの祭典を中心とする古代のオリンピックにおいては、
古代ギリシア語ではピグマキアと呼ばれることになる古代のボクシングにあたる競技が行われていたと考えられることになるのですが、
それでは、
こうした古代オリンピックのボクシング競技における歴代の優勝者のなかでも、人々から特に秀でた戦績を残してきた人物として恐れられていた人物、
すなわち、古代ギリシアにおける最強の拳闘士としては、具体的にはどのような人物の名が挙げられることになると考えられることになるのでしょうか?
古代ギリシアの四大競技大祭のすべてを制覇した拳闘士とは?古代ギリシア有数のオリンピック一家の祖となったロドス島のディアゴラス
そうすると、まず、
古代ギリシアにおける競技祭典としては、古代のオリンピックにあたるオリンピアの祭典のほかにも、ネメア大祭とピューティア大祭とイストモス大祭と呼ばれる三つの祭典が開催されていて、
一つの競技種目において、こうした古代ギリシアにおける四大競技大祭のすべてを制覇することは、言わば、
現代で言うところのテニスの国際大会などにおける全豪オープンと全仏オープンとウィンブルドン選手権と全米オープンといった4大大会のすべてを制覇するグランドスラムにあたるような歴史的な偉業として広く尊敬を集めていたと考えられることになるのですが、
そうした古代ギリシアにおける四大競技大祭のすべてを制覇した人物たちのなかでも、その名がギリシア全土に知れ渡っている古代ギリシアにおける最も有名な拳闘士たちの名前としては、
ロドスのディアゴラスとタソスのテオゲネスという二人の人物の名が挙げられることになります。
そして、このうち、
前者のロドスのディアゴラス(Diagoras of Rhodes)は、エーゲ海の南部の現代のトルコが位置するアナトリア半島の沿岸部に位置するギリシア領の島にあたるロドス島出身の拳闘士であり、
彼は、前述した古代ギリシアの四大競技大祭におけるボクシング競技で合計で9回にもおよぶ優勝記録をのこしたほか、
彼の息子にあたるダマゲトスとアコウシラオス、さらには、孫にあたるペイシロードスやエウクレスまでもがオリンピックの優勝者として名を残した古代ギリシア有数のオリンピック一家の祖となる人物として数え上げられることになると考えられることになるのです。
神官の一族に生まれ死後に神となったタソス島の拳闘士テオゲネス
そして、それに対して、
後者のタソスのテオゲネス(Theagenes of Thasos)は、エーゲ海の最北部に位置するギリシア領の島にあたるタソス島出身の拳闘士であり、
彼は、ギリシア神話における半神半人の英雄ヘラクレスを祀る神官の一族の末裔にあたる人物でもあったと考えられることになります。
そして、彼は、
古代ギリシアの四大競技大祭におけるボクシング競技において、前述したロドスのディアゴラスの記録を大きく超える合計で23回にもおよぶ優勝記録をのこしたほか、
格闘家として活躍した22年間にもおよぶ拳闘士としての人生において戦ったとされる1300回の試合のすべてに勝利をおさめたとされていて、
その偉業は、オリンピアやデルフォイ、そして、彼の故郷にあたるタソス島の神殿などにおいて彫刻の台座に刻まれた碑文の形として現代に至るまで語り伝えられていくことになります。
また、
こうした神官の一族に生まれながら拳闘士として生きていくことになったテオゲネスの伝説としては、以下のような逸話も語り伝えられていくことになります。
テオゲネスが自らの人生を終えて、その姿が彫像としてタソス島の神殿へとおさめられることになった時、かつて在りし日の彼との闘い敗れ、屈辱を与えられたことを恨みに思っていた人物が、その復讐としてテオゲネスの像を鞭で打っていたところ、
突然、像が大きく動いて、この不届きな人物のことを押し倒してしまい、その人物はそのままテオゲネスの像に押し潰されて死んでしまうことになります。
そして、
その様子を見ていたタソス島の人々は、テオゲネスの像を人を殺した不吉な像として海に投げ込んで捨ててしまうことになるのですが、
その後、タソスの島において長い間、凶作と飢饉が続いていくことになると、島の人々は、デルフォイの神殿へと使者を送り、以下のような神託の言葉を得ることになります。
「すべての不幸の元凶は不当に追放された者たちの怒りの声にある。その怒りを鎮めるためには、島から追放されたすべての者たちを連れ戻さねばならない。」
そして、こうした神託の言葉を聞いたタソス島の人々は、すぐに今までに自分たちが追放してきた人々を島へと呼び戻していくことになるのですが、それでも凶作と飢饉が収まることはなかったので、再び神託の言葉を求めに行くと、
今度は、そこで、
「お前たちは偉大なテオゲネスのことを忘れているではないか。」
という神託の言葉を得ることになり、この言葉を聞いて、すぐに彼の像を求めて海の中を探しに行ってみると、ちょうどそうした彼らののもとへ、漁師が網にかかったテオゲネス像を持ち帰ってきたので、
タソスの人々は、この像を元通りに神殿へと安置すると、ぴたりと凶作が収まり、島の平穏な日々が取り戻されることになったため、
その後は、島の人々だけではなく、この話を耳にしたギリシア全土の多くの人々が、テオゲネスのことを神として崇めるようになっていったと語り伝えられているのです。
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次回記事:古代オリンピックのレスリング競技の具体的な競技内容とは?古代ギリシアの第一の格闘競技としてのレスリングの位置づけ
前回記事:古代オリンピックのボクシング競技の具体的な競技内容とは?古代ギリシア語におけるピグマキアの意味と最初の優勝者の名前
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