13日の金曜日が不吉な日とされる本当の理由とは?最後の晩餐における不吉な数字とユダの裏切りとテンプル騎士団との関係
13日の金曜日が不吉な日として捉える考え方は、イギリスやフランスやドイツなどといった西ヨーロッパを中心とする国々において広まっていた迷信であると考えられ、
俗説では、この日が十字架にかけられたイエス・キリストが処刑された日であるともされることがあることから13日の金曜日が不吉な日とされることもありますが、後で述べるように、こうした説については、現在においてはほぼ誤りであるということが明らかとなっています。
それでは、このように、イギリスやフランスやドイツといった西ヨーロッパを中心とする国々で13日の金曜日が不吉な日とされるようになっていった具体的な理由としては、どのような点が挙げられることになると考えられることになるのでしょうか?
イエスの十字架の死の日付が13日の金曜日ではないと考えられる理由
まず、冒頭でも述べた13日の金曜日を十字架のうえでイエス・キリストが処刑された日として捉えるという説についてですが、
詳しくは前回の記事で書いたように、
確かに、四福音書に代表されるような聖書の記述においては、イエス・キリストが処刑されて亡くなった日は、ユダヤ教における安息日の前日にあたる日である金曜日であるということが記されているのですが、
聖書の記述やそのほかの様々な歴史的な資料においても、イエス・キリストが処刑された正確な日付については、明確な形での記録は一切残っておらず、それについては正確なことは不明なままとなっています。
そして、
そうした一連の歴史的な資料や当時の暦のあり方などを考慮に入れた歴史学的な推定においては、
一般的に、イエスの十字架にかけられて処刑されてしまうことになったのは、西暦30年~33年ごろの4月の時期であると考えられていて、
そのなかでも、特に、西暦30年の4月7日の金曜日と、西暦33年の4月3日の金曜日が、そうしたイエスの十字架の死の日付についての最も可能性の高い推定日として挙げられることになるのですが、
いずれにせよ、
こうしたイエスの十字架の死の日付が13日の金曜日であったという俗説は、ほぼ誤りと言ってもいい、非常に信憑性の低い説であると考えられることになるのです。
最後の晩餐における不吉な数字である13と金曜日との組み合わせ
それでは、
具体的にはどのような理由から、こうした13日の金曜日という日付と曜日の組み合わせが不吉な日として捉えられるようになっていったと考えられることになるのか?ということについてですが、
それについては、一般的に、
前述したように、イエス・キリストが処刑された日が金曜日であるということと、そうしたキリストの処刑の前夜に行われた最後の晩餐において、イエスと12人の使徒たちを合わせた全部で13人の人物が集まっていたことが理由として挙げられることになると考えられることになります。
キリストの処刑の前日に行われた最後の晩餐に参加した13人の人物のなかには、イエスを銀貨三十枚でユダヤ人の祭司長たちのもとへと引き渡すという悪魔の契約を結ぶ裏切り者のユダも含まれているのですが、
つまり、そういった意味では、
そうしたキリストを死へと導く裏切り者のユダが含まれている13という数字と、実際にキリストが処刑されることになった金曜日という曜日の両方が不吉な存在として捉えられていったうえで、
そうした不吉な数字と不吉な曜日の両者が結びつけられた13日の金曜日という日付と曜日の組み合わせが、神の子であるイエスにさえも十字架による処刑という苦痛と死をもたらしていくことになる不吉な日として位置づけられるようになっていったと考えられることになるのです。
13日の金曜日とテンプル騎士団とパリ同時多発テロ事件との関係
また、その後の歴史においては、
1307年10月の13日の金曜日には、フランスにおいて、
中世ヨーロッパにおける十字軍の活動などにおいて最も活躍して権勢をふるった騎士修道会にしてキリスト教の秘密結社でもあったテンプル騎士団が、
世俗勢力であったフランス国王フィリップ4世の策略のために、異端審問へとかけられ、悪魔崇拝などの偽りの罪を着せられたうえで、
テンプル騎士団の指導者であったジャック・ド・モレーを筆頭とする多くの騎士団員たちが、火あぶりなどの残酷な刑罰によって処刑されていってしまうことになります。
そして、
こうした中世のフランスにおいて13日の金曜日に行われたテンプル騎士団への粛清と、多くの罪のなき騎士団員たちへの拷問と刑罰、
そして、そうしたキリスト教を信仰する騎士修道会の敬虔なる指導者であったジャック・ド・モレーの火あぶりによる処刑といった一連の残酷な出来事が、
聖書の記述において金曜日に行われたとされているイエス・キリストの十字架による処刑を彷彿とさせるものであったことから、のちの時代において、
さらに、こうしたフランスを中心とするイギリスやドイツなどといった西ヨーロッパの各地において、13日の金曜日を不吉な日として位置づける考え方が少しずつ広がっていくようになっていったとも考えられることになります。
また、その後、現代の時代になっても、
例えば、2015年11月の13日の金曜日には、同じくフランスにおいて、
第二次世界大戦以降のフランスにおける最大の被害にあたる130名もの死者を出してしまうことになったパリ同時多発テロ事件が起きているように、
こうした13日の金曜日という日付は、現代においても、死や処刑といった不吉で残酷な出来事と深く結びつけられていってしまうことによって、
フランスやドイツやイギリスなどといった西ヨーロッパを中心とする国々において、13日の金曜日が不吉な日とされるイメージが定着していくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:マタイとマルコの福音書におけるイエスの最期の言葉と「エリ」と「エロイ」というヘブライ語とアラム語における発音の違い、十字架の死に際してイエスが残した最後の言葉とは?①
前回記事:イエスの十字架の死が金曜日とされる理由とは?新約聖書の記述とユダヤ教の暦における安息日の位置づけに基づく具体的な根拠
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