知性とは何か?⑦ロックとカントの哲学における概念的な理解力としての知性の定義と感性と理性の中間に位置する心の働き
前回の記事で書いたように、14世紀のイギリスのスコラ哲学者であるオッカムの哲学思想においては、
一人ひとり人間の心の内にある個別的な知性の存在のあり方を人間における認識の原理として位置づけていくという近代の認識論哲学へと通じる知性の概念の捉え方が示されていると考えられることになるのですが、
こうした人間の心の内にある個別的な認識能力の範囲においてのみ知性と呼ばれる概念の存在を理解していくというオッカムにおける知性概念の捉え方は、
その後、
イギリス経験論を代表的する哲学者であるロックや、ドイツ観念論の祖として位置づけられるカントの哲学における認識論の議論のうちへと引き継がれていくことになっていったと考えられることになります。
ロックの知性論における人間の心に備わった概念的な理解力としての知性の定義
17世紀のイギリスの哲学者にして政治思想家でもあるジョン・ロック(John Locke)は、その主著である『人間知性論』において、近代哲学における認識論の基礎となる知性観を提示していくことになるのですが、
その『人間知性論』のなかでロックは、
人間の認識における生得観念の存在を否定する議論のなかで、知性と呼ばれる心の働きのあり方について、以下のような形で言及していくことになります。
「知性の内に何かがありながらそれが理解されないということや、心の内にあるものが知覚されないということは、何かが心や知性の内に存在しながら同時に存在しないと言っているのと同じである」
上記のロック自身の言葉において示されているように、
ここでは、知性と呼ばれる心の働きのあり方は、感覚や知覚を通じて得られた表象を観念や概念として理解していく認識の働きのあり方として捉えられていると考えられることになります。
つまり、
こうしたロックの哲学における知性論の議論においては、
知性と呼ばれる概念は、英語におけるunderstanding(アンダースタンディング)、すなわち、心の内にある表象を概念として理解していく人間の心における理解力のことを意味する言葉として捉えられていると考えられることになるのです。
カントの認識論哲学における感性と理性の中間に位置する心の働きとしての知性の位置づけ
そして、
こうしたロックの哲学における心の内にある表象を概念として把握していく理解力としての知性概念の捉え方は、
その後、
18世紀のドイツの哲学者であるカントの認識論哲学においても基本的には引き継がれていくことになると考えられることになります。
カントの認識論哲学においては、
こうした人間の認識における概念把握のことを意味する心の働きとしての知性の存在のあり方は、
前述した英語におけるunderstandingの訳語にもあたるドイツ語におけるVerstand(フェアシュタント)という言葉として定義されていくことになり、
それは、日本語におけるより専門的な哲学用語としては、「悟性」と訳される概念として捉え直されていくことになります。
そして、
カントの主著である『純粋理性批判』においては、
人間の意識における客観的な認識のあり方は、
感性における直観を通じて与えられた認識の素材となる多様な表象のあり方が、悟性において様々な概念のあり方へと総合されていったうえで、
さらに、そうした感性と悟性において捉えられた多様な表象のあり方が理性における論理的な推論を通して一つの認識のあり方へと統一されていくという
感性における直観と、悟性における総合、そして、理性における統一という三つの心の働きのあり方における三段階の認識作用によって形成されていくことになると説明されていくことになるのですが、
つまり、
こうしたカントの哲学における認識論の議論においては、
悟性としての知性の存在のあり方は、
感覚や知覚といった感性の働きによって得られた表象を概念として取りまとめたうえで、それらの概念をさらに論理的な推論の働きによって認識に統一をもたらす働き担う理性の存在の内へと受け渡していくという
感性と理性の中間に位置する人間の意識における概念把握を主体とする認識作用として位置づけられていくことになると考えられることになるのです。
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以上のように、
こうした近代哲学を代表する哲学者であるロックやカントの認識論の議論においては、
知性と呼ばれる概念は、一言でいうと、人間の心における理解力のことを意味する概念として捉えられたうえで、
それは、身体的な感覚や知覚に依存する感性的な認識の働きのあり方と、論理的な推論の働きによって認識に統一をもたらす理性的な認識の働きの媒介者として位置づけられる
感性と理性の中間に位置する認識作用のあり方のことを意味する概念として捉え直されていくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:知性とは何か?⑧アナクサゴラスからアリストテレスそしてロックとカントへと至る哲学史における知性の概念の変遷のまとめ
前回記事:知性とは何か?⑥中世スコラ哲学における普遍論争とオッカムの認識論における人間の心の内にある個別的な知性の存在
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