強い人間原理と弱い人間原理の違いとは?宇宙の存在そのものを成り立たせている究極の原理としての人間原理の位置づけ
前回までの一連の記事で書いてきたように、現代物理学における宇宙論を基礎づけている宇宙全体の構造を捉える基本原理のあり方には、宇宙原理と人間原理と呼ばれる二つの原理のあり方が提示されていて、
前者の宇宙原理が、一様的かつ等方的である宇宙の構造の側から人間や地球といった存在を含む宇宙におけるあらゆる存在のあり方を説明していく原理として定義されることになるのに対して、
後者の人間原理とは、観測者としての人間や地球といった特別な存在の側からそのほかのあらゆる存在を含む宇宙全体の構造のあり方を規定していく原理のあり方として定義されることになります。
そして、
こうした後者の人間原理と呼ばれる宇宙に関する基本原理のあり方は、この原理自体の捉え方に関する立場の違いに応じて、
強い人間原理と弱い人間原理と呼ばれる二つの人間原理のあり方へと区分されていくことになると考えられることになります。
「弱い人間原理」に基づく宇宙の時間的・空間的な位置関係の制約
まず、
こうした二つの人間原理のあり方のうち、前者にあたる弱い人間原理(Weak anthropic principle、WAP)とは、
1961年に、アメリカの天体物理学者であったロバート・ディッケ(Robert Dicke)によって提唱された現在の時点における宇宙の年齢の範囲が、その姿を現に観測している地球上における人間の存在を可能とする条件の範囲に限定されることになるとする議論に基づいて提唱されるようになった原理であり、
そこでは、宇宙の姿が実際に観測されていて、そうした宇宙の観測者としての人間が現実に存在するというという前提となる事実が存在する以上、
現時点における観測可能な宇宙の年齢やそうした宇宙の内にある太陽系の位置関係といったものは、単なる物理的な条件のみによってランダムに決まったものではなく、
そうした宇宙の観測者としての人間の存在を前提とすることによって宇宙の適切な時間や場所の位置づけが定まっていくことになるとする議論が展開されていくことになります。
つまり、
こうした弱い人間原理(WAP)と呼ばれる宇宙の捉え方においては、
観測者である人間の存在の側の原理に基づいて、現時点における宇宙の年齢やその内部における太陽系の位置といった宇宙における時間的・空間的な位置が必然的に定まっていくことになるとする宇宙観が提示されていると考えられることになるのです。
「強い人間原理」に基づく宇宙の存在そのものを成り立たせている究極の原理としての人間原理の位置づけ
そして、それに対して、
二つの人間原理のあり方のうちの後者にあたる強い人間原理(Strong anthropic principle、SAP)とは、
1973年にオーストラリアの理論物理学者であったブランドン・カーター(Brandon Carter)によって提唱された原理であり、
カーターによる強い人間原理(SAP)の議論においては、
宇宙の年齢や太陽系の場所といった宇宙における時間的・空間的な位置関係だけにとどまらず、
宇宙全体の構造を形づくっている物理法則や物理定数といったものまでもが、そうした人間の存在の側の原理に基づいて選択されていくことになるとする宇宙観が提示されていくことになります。
そして、
こうした強い人間原理(SAP)における人間原理の捉え方は、イギリスの物理学界における代表的な人間原理の論者であるジョン・バロウ(John Barrow)やフランク・ティプラー(Frank Tipler)といった人物たちの手によってその適用のあり方がさらに拡大されていく形で解釈されていくことになり、
彼らが提示する強い人間原理(SAP)における宇宙の捉え方においては、
宇宙全体の構造や物理法則の存在のあり方をも決定する人間の存在の側の原理が、宇宙そのものの存在自体を成り立たせている究極の原理として捉え直されていくことによって、
そうした一人一人の観測者が定立する無数の宇宙が織り成す調和によって現実における宇宙の姿が形づくられていくことになるとする多元宇宙論へとつながる宇宙観が提示されていくことになるのです。
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以上のように、
こうした強い人間原理と弱い人間原理と呼ばれる二つの人間原理のあり方における具体的な違いとしては、
前者の弱い人間原理(WAP)においては、人間の側の原理に基づく宇宙の構造の規定のあり方は、宇宙の年齢や太陽系の場所といった宇宙における時間的・空間的な位置関係だけに限定されているのに対して、
後者の強い人間原理(SAP)においては、そうした人間の側の原理に基づいて規定されていくことになる宇宙の構造の範囲がさらに拡大されていき、
最終的には、宇宙の存在そのものを成り立たせている原理がそうした宇宙の観測者としての人間の存在のうちに求められることになるという点において、
こうした両者の概念の間における主要な相違点を見いだしていくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:人間原理とコペルニクス的転回の関係とは?宇宙原理と人間原理に基づく宇宙全体の構造の双方向的な探求
前回記事:宇宙論における強い人間原理とは何か?ブランドン・カーターおよびジョン・バロウとフランク・ティプラーにおける定義の違い
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