世界最古の太陽暦であるエジプト暦における暦法の仕組みの具体的な特徴とは?恒星シリウスの観測とナイル川の氾濫時期の関係
太陽暦とは、一言でいうと、地球上から見た太陽の運行周期のあり方を基準とする暦法のあり方、すなわち、地球が太陽のまわりを一周する期間を一年とする暦法のあり方として定義されることになりますが、
こうした太陽暦と呼ばれる暦法のあり方は、人類の歴史のなかでは、古代エジプトにおけるエジプト暦にはじまり、その後、ペルシア暦やユリウス暦、そして、グレゴリオ暦と呼ばれる現代において使われている暦法のあり方へと引き継がれていくことになります。
そこで、今回の記事では、このうち、はじめに挙げた
一般的には、エジプト暦と呼ばれることになる世界最古の太陽暦における暦法の仕組みの具体的な特徴のあり方について、詳しく考察していきたいと思います。
古代エジプトにおける世界最古の太陽暦とナイル川の氾濫時期の把握
古代エジプトにおいて、太陽暦が暦法として広く用いられていくことになったのは、だいたい紀元前2000年ごろの時代であると考えられていて、
エジプトにおいては、王朝の権力と国民の生活を支える源となる農業の生産力の向上のために、毎年決まった時期に洪水を引き起こすナイル川の氾濫の時期を正確に知ることが必要だったため、
こうした太陽に対する地球の公転周期に基づいて季節の移り変わりを正確に把握していくことができる太陽暦が用いられていくことになったと考えられることになります。
そして、
こうした世界最古の太陽暦にあたるエジプト暦においては、1年を365日としたうえで、1か月を30日とする12の月と、年末に加えられることになる5日の余日によって1年が構成されていくことになるのですが、
そうした古代エジプトにおける太陽暦においては、太陽の運行と暦のずれを補正するために4年に1度ほどの間隔で平年より1日だけ日数が多い年をもうける閏年(うるうどし)の導入は、いまだ行われていなかったため、
季節の移り変わりを正確に指し示していくことができるはずの太陽暦であるにも関わらず日付と季節との間の直接的な関係自体は徐々にずれていくことになってしまっていたと考えられることになるのです。
恒星シリウスの観測に基づく閏年の存在しない太陽暦としてのシリウス暦やソティス暦の位置づけ
それでは、
古代エジプトの人々は、具体的には、いったいどのようにして、そうした徐々に日付と季節の関係がずれていってしまうことになるという少し不便なところのある閏年の存在しない太陽暦から、毎年決まった時期に訪れるナイル川の氾濫の時期といった正確な季節の移り変わりの把握を行っていたのか?ということについてですが、
こうした古代エジプトにおける太陽暦においては、元旦の日付が年ごとに移動していくという移動年と呼ばれる暦法の形が取られていて、
正確には、
ナイル川の氾濫の時期に日の出前の東の空に観測されることになる恒星シリウスの東天への出現日を元日すなわち一年のはじまりの日とすることによって実際の暦のあり方が組み上げられていたと考えられることになります。
つまり、
古代エジプトの人々は、そうした年ごとに少しずつ移動していく元日の日付と、実際の季節との間に徐々にずれが生じていく暦のうえでの日付を照らし合わせていくことによって、
閏年が存在しなくても、こうした太陽暦の導入の本来の目的であるナイル川の氾濫の時期を含めた季節の移り変わりの正確な把握を行うことができていたと考えられることになるのです。
そして、
こうした恒星シリウスの観測とナイル川の氾濫の時期を基準とする閏年の存在しない古代エジプトにおける太陽暦のあり方は、閏年の存在する一般的な太陽暦のあり方と区別して、
恒星シリウスの名をとってシリウス暦やシリウス・ナイル暦、あるいは、そうした恒星シリウスが古代エジプトにおいて豊穣の女神として神格化された名前にあたるソプデトのラテン語読みにあたるソティス暦といった暦法の名で呼ばれることもあると考えられることになるのです。
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次回記事:ペルシア暦において春分の日が元日とされる理由とは?ゾロアスター教とイラン暦やシリア暦などのイスラム圏の太陽暦との関係
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