禁軍とは何か?皇帝を守護する直轄軍としての歴代の中国王朝における禁軍の編成のあり方の変遷の歴史
前回書いたように、皇帝の住居を意味する禁中・禁裏・禁城といった言葉に用いられている「禁」という字は、皇帝や天子以外の者がその内部や裏側にみだりに立ち入ることが禁じられているという意味を表していると考えられることになります。
そして、
禁軍(きんぐん)とは、その言葉の本来の意味においては、
そうした都の中の禁中や禁裏と呼ばれている領域に座している皇帝や天子を守護する軍隊のことを意味する言葉であると考えらえることになるのですが、
こうした中国の歴代王朝における禁軍の編成や規模、軍隊の内部における位置づけのあり方は、古代から中世、近代へと時代を追っていくなかで、徐々に変遷していくことになると考えられることになります。
隋と唐の時代における近衛兵としての禁軍の編成
皇帝とその居城である禁城を守護する軍隊のことを意味する総称として、禁軍という言葉が広く一般的に用いられていくようになったのは、
618年に建国され、人類の歴史上最も壮大で整然とした都であるとも言える長安の都が築かれた唐の時代以降であると考えられることになるのですが、
それ以前の中国の歴代王朝においても、皇帝を守護する直轄軍としての実質的な禁軍の存在は確認することができ、
例えば、
唐の前の時代にあたる隋の時代には、皇帝を守る直轄軍である近衛軍は、禁城へと通じる十二の門のそれぞれを守るとされる十二衛(えい)と呼ばれる12の軍組織へと編成されていくことになるのですが、
隋の第2代皇帝である煬帝(ようだい)は、こうした十二衛のうちの一つである右屯衛将軍(うとんえいしょうぐん)に任命されていた宇文化及(うぶんかきゅう)の反逆によって暗殺されてしまい、
その後、すでに挙兵していた李淵(りえん)によって唐の建国が進められていくことになります。
そして、
唐の時代においても、基本的には、こうした隋における近衛兵の編成にならう形で皇帝と禁城を守る直轄軍としての禁軍の編成が進められていくことになり、
唐においては、長安の都を守る禁軍として十二衛が置かれたうえで、さらに、皇帝個人の護衛を主な目的としたより密接な親衛隊として北衙禁軍(ほくがきんぐん)などが新たに設置されていくことになるのです。
宋の時代における正規軍としての禁軍の権限と規模の大幅な拡大
そして、
こうした禁軍と呼ばれる皇帝の直轄軍の編成のあり方に大きな変化が見られるのは、
中国において、唐滅亡後の分裂時代である五大十国(ごだいじっこく)の時代に終止符が打たれる宋の時代であると考えられることになります。
960年に、趙匡胤(ちょうきょういん)によって建国された宋(北宋)においては、地方軍閥にあたる藩鎮(はんちん)へと分散していた軍の指揮権の中央への集権化が図られていくことになるのですが、
もともとは、自身も五代十国の最後の王朝である後周における禁軍の総司令官の出であった趙匡胤は、そうした軍の中央集権化を進めていくために、
皇帝の直轄軍としての禁軍の権限と規模の大幅な拡大を進めていき、禁軍を十分な兵力と優秀な武器や装備によって充実させて強化いくと同時に、
禁軍の任務も皇帝の護衛や都の警備だけに限らず、幅広い戦闘活動を担うことを認めたうえで、その配置も都周辺だけではなく、地方各地の藩鎮の領内への禁軍の駐屯も進められていくことなります。
そして、特に、
契丹(きったん、キタイ)などの北方の遊牧民族からの侵入に対抗するために、黄河以北の辺境地域に強化された禁軍の主力部隊が重点的に展開されていくことになり、
こうした首都に常駐する親衛隊としての禁軍と、北方の国境地帯に幅広く展開する新たな禁軍という二方面からの鋭い統制のにらみをきかせることによって、国内におけるすべての軍隊を禁軍の統率のもとに結集させていくことになります。
そして、それによって、
今まで地方における主戦力となっていた藩鎮の部隊は、徐々に、土木工事を行う労働部隊へと格下げされていき、戦闘に関する任務はそうした地方に展開された新たな禁軍の部隊へと任されるようになっていき、
こうしたことから、その後の時代においては、禁軍とは、単なる皇帝を守る軍隊としてだけではなく、国の内外における軍事活動を一手に引き受ける国家における正規軍の別名としての意味も担っていくようになっていくのです。
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以上のように、
禁軍とは、この言葉自体のもともとの意味においては、皇帝が座する禁城を守る軍といった意味を表す言葉であり、
さらには、そうした皇帝に仕える特権的な直轄軍のことを指して、こうした言葉が用いられていると考えられることになります。
そして、
中国の歴代王朝における禁軍の編成のあり方の変遷について見ていくと、
隋や唐の時代においては、禁軍とは、文字通り、皇帝と禁城を守る直轄軍のことを意味していて、都の警護を行う十二衛や、皇帝個人の護衛を任務とする北衙禁軍といった様々な近衛軍や禁軍の部署が設置されていくことになるのですが、
それに対して、
宋の時代になると、こうした皇帝の直轄軍としての禁軍の権限と規模の大幅な拡大が見られるようになっていき、
以降は、国の内外における軍事活動全般を統括する国家における特権的な正規軍のことを意味する言葉としても、こうした禁軍という言葉が用いられるようになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:四凶とは何か?中国神話における四つの悪徳を体現する悪神と悪獣の名前とその具体的な特徴
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