プラトン対話篇の前期・中期・後期の三つの分類と思想傾向の違い

紀元前4世紀古代ギリシアの哲学者であるプラトンは、ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師にあたる人物であり、西洋哲学の土台となる思想を生み出した思想家でもあります。

師であるソクラテスがその生涯において一篇の著作も残さなかったのに対して、プラトンは、本格的に哲学者としての活動を開始した30歳ころから80歳で亡くなるまでの全生涯を通じて自らの思想を常に著作の中に書きとめ続けた哲学者であり、一説には「書きながら死んだ」と伝えられている哲学者でもあります。

プラトンの著作として現代まで伝わっている作品は全部で44もの著作が挙げられることになりますが、

その内、13通からなる『書簡集』と、後世に弟子たちの手などによって書かれた偽作とされることが多い15篇の対話篇と『定義集』を除いた

全部で27篇の対話篇がプラトン自身が書き残した真正の著作である可能性が高いと考えられています。

そして、こうしたプラトンの27篇の対話篇は、通常の場合、それぞれの著作が書かれたと考えられる年代とその思想内容の分類に従って、

前期・中期・後期という全部で三つの分類へと区分されていくことになるのです。

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プラトン対話篇の前期・中期・後期の三つの分類

プラトン対話篇は、その推定される成立年代に従って、

著者であるプラトンが30歳から45歳頃に書いたと推定される初期対話篇45歳から60歳頃に書いたと推定される中期対話篇、そして、60歳頃から80歳頃に書いたと推定される後期対話篇という三つの分類へと区分されていくことになります。

このうち、下記の図において改めてまとめていく形で示すように、通常の場合、

初期対話篇には、『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『エウテュプロン』、『カルミデス』、『ラケス』、『リュシス』、『ヒッピアス(大)』、『ヒッピアス(小)』、『イオン』、『エウテュデモス』、『プロタゴラス』、『ゴルギアス』、『メネクセノス』、『クラテュロス』、『メノン』という全部で15篇の対話篇が、

中期対話篇には、『饗宴』、『パイドン』、『国家』(全10巻)、『パイドロス』、『パルメニデス』、『テアイテトス』という全部で6篇の対話篇が、

後期対話篇には、『ソピステス』、『政治家』、『ティマイオス』、『クリティアス』、『ピレボス』、『法律』(全12巻)という全部で6篇の対話篇がそれぞれ分類されると考えられることになります。

ただし、

こうした各区分への著作の分類の仕方については、年代の推定方法や思想内容の解釈のあり方の違いに応じて多少ばらつきがあり、

例えば、上記の分類の中で、初期対話篇に分類されている『クラテュロス』は、初期から中期への過渡期に位置する作品の中でも、より中期の思想傾向に近い作品として、中期対話篇に分類される場合もあるほか、

中期対話篇に分類されることが多い『パルメニデス』、『テアイテトス』についても、思想的な分類を重視するとむしろ後期対話篇に分類するほうが適当であると解釈されることもあります。

プラトン対話篇の前期・中期・後期の三つの分類

ちなみに、上記のプラトンの対話篇の書名表記において、『饗宴』『国家』『政治家』『法律』という四作品を除いたすべて作品が原典におけるギリシア語表記に従ったカタカナ表記となっているのは、

例えば、『クリトン』ではソクラテスと同郷の友人であったクリトンという人物とソクラテスとの間の対話が、『パイドン』では同じくソクラテスの友人であり哲学者であったパイドンとソクラテスの間の対話が中心となって戯曲形式で物語が進んで行くというように、

これらの作品においては、すべて対話相手となる作中の登場人物の名前がそのまま対話篇のタイトルとして使われているということが理由として挙げられることになります。

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前期・中期・後期のそれぞれの時期における思想傾向の違い

そして、こうしたプラトンの対話篇における前期・中期・後期のそれぞれに分類される著作の思想的な傾向としては、

まず、

初期対話篇においては、善く生きる」とはどういうことなのか?徳とは何か?いったプラトンの師であるソクラテスの哲学的探究のあり方を解き明かそうとする形で対話篇の中の議論が進められていくことになります。

それに対して、

中期対話篇においては、『パイドン』における想起説や、『国家』における太陽と線分と洞窟の三つの比喩などの議論を通じて、すべての存在の原型となる真なる実在であるイデアideaという概念が提示され、

そうしたプラトン独自の思想であるイデア論を中心に議論が進んでき、その中で、魂の不死輪廻転生といった思想も提示されていくことになります。

そして最後に、

後期対話篇においては、『パルメニデス』におけるイデア論批判などを通じて、中期におけるイデア論の問題点が指摘され、こうした議論を通じて、さらにイデアという概念を中心とするプラトン哲学全体についての知の吟味が進められていくことになるのです。

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以上のように、

プラトンの27篇の対話篇は、推定される成立年代思想内容の違いに従って、通常の場合、15篇の初期対話篇と、6篇の中期対話篇、そして、6篇の後期対話篇へと分類されることになります。

そして、

こうした三つの分類へと区分されるプラトンの対話篇の中でも、後世においては、

特に、中期以降イデア論に関する議論がプラトン哲学の中核をなす思想として捉えられていくことになり、

そうしたプラトンの対話篇におけるイデア論の思想が源流となって、その後の西洋哲学が展開していく土台が形成されていったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:プラトンの「太陽の比喩」における善のイデアを頂点とするヒエラルキー構造、プラトン『国家』における認識論①

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