プラトンの「太陽の比喩」における善のイデアを頂点とするヒエラルキー構造、プラトン『国家』における認識論①

古代ギリシアの哲学者であるプラトンの中期以降の哲学思想においては、

現実の世界の背後には、すべての存在の原型となる真なる実在であるイデアideaの世界があり、

そうした真なる実在であるイデアに根拠づけられることによって、世界の内にあるあらゆる事物と認識が成立しているとするイデア論と呼ばれる思想が展開されていきます。

そして、

プラトンの中期対話篇に位置づけられる著作であり、主著の一つであるともされている『国家』においては、

そうしたイデア論の思想に基づく「太陽の比喩」、「線分の比喩」そして「洞窟の比喩」という三つの比喩を用いた説明を通じて、

人間の認識には、ノエーシスディアノイアピスティスエイカシアーと呼ばれる四段階の認識のあり方が存在するとする主張が展開されていくことになるのです。

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「太陽の比喩」における善のイデアを頂点とするヒエラルキー

まず、『国家』の第六巻にでてくる太陽の比喩においては、

イデア論に基づいて、あらゆる存在の根本原理として、イデアの中のイデアである善のイデアが存在するとされたうえで、

ちょうど頭上に輝く太陽の光が地上を照らし出すように、善のイデアがあらゆる存在を根拠づけることによって、

地上の世界におけるあらゆる事物と、人間におけるあらゆる認識が成立すると説明されることになります。

例えば、自然界において、

視覚という認識のあり方は、通常の場合、太陽や月の光によって地上の世界における事物が照らし出されることによって可能となりますが、

このうち月の光は、太陽の光を反射することによって生じている二次的な光に過ぎないので、地上の世界における事物を目で見るという認識のあり方は、基本的には太陽の光がすべての源となることによって成立している認識のあり方であると考えられることになります。

そして、それと同じように、

地上の世界におけるあらゆる事物と人間におけるあらゆる認識のあり方は、その原型であるイデアによって根拠づけられることによって成立し、

そうした個々の事物の原型となる個々のイデアは、さらに、その大本にある善のイデアによって根拠づけられることによって成立しているとされることになります。

つまり、「太陽の比喩」においては、

自然界における太陽の存在を、すべての存在の根本原理である善のイデアを象徴する比喩として用いたうえで、

そうした善のイデアを頂点とするヒエラルキー構造によって、個々のイデアと地上の世界におけるあらゆる事物、そして、そうした事物についての認識のあり方が説明されることになるのです。

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以上のように、

プラトン『国家』の第六巻で語られている「太陽の比喩」では、

太陽が地上の世界の事物を遍く照らし出すことによって視覚という認識が成立しているのと同じように、

地上の世界における個々の事物はその原型である個々のイデアによって根拠づけられることによって成立し、さらに、そうした個々のイデアは、その大本にある善のイデアによって根拠づけられることによって成立しているとされ、

そうした善のイデアの根源的な働きに基づいて、人間におけるあらゆる認識のあり方も成立していると説明されることになります。

そして、こうした「太陽の比喩」の議論に引き続き、同じくプラトンの『国家』第六巻次の箇所で語られている「線分の比喩」においては、

こうした「太陽の比喩」における議論を踏まえたうえで、

 人間の認識のあり方自体にも、「太陽の比喩」で語られている善のイデアと個々のイデア、そして現実の事物との間にみられるのと同じような階層構造があることが説明されていくことになるのです。

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次回記事:プラトンの『国家』における四つの認識のあり方の分類、ノエーシスとディアノイアとピスティスとエイカシアの区分、認識論②

前回記事:プラトン対話篇の前期・中期・後期の三つの分類と思想傾向の違い

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