リュンコイスの詩の後半部分で歌われる見えることの災いと苦しみ、リュンコイスの詩②、『ファウスト』の和訳と解釈⑨
前回書いたように、
「見るために生まれ(Zum Sehen geboren)」という印象的な一節ではじまる塔守のリュンコイスの詩の前半部分では、
高い塔の上から世界にあるすべてのものを隈なく見渡し、美しい世界の姿を見ることができるという見ることの喜びが、美しい韻律にのせられた美しい言葉によって高らかに歌い上げられています。
しかし、こうした前半部分とは打って変わって、この詩の後半部分では、リュンコイスの目に映っていた美しい世界は、その視界の端に突如として現れる不吉な炎の影によって次々に壊されていく、彼にとって喜びであったはずのものすべてが災いと苦しみへと置き換わっていくことになります。
このように、リュンコイスの詩の後半部分では、見ることの喜びは苦しみへと反転し、見ること、そして、見えてしまうことに対する災いと苦しみの側面が描き出されていくことになるのです。
見ることの苦しみが描かれるリュンコイスの詩の後半部分のドイツ語原文
『ファウスト』の第二部、第五幕の「深夜(Tiefe Nacht、ティーフェ・ナハトゥ)」の章で歌われる塔守のリュンコイスの詩の後半部分では、目に見える美しい世界の姿が描き出される前半部分とは打って変わり、
暗闇の中で燃え広がり、自然の木々や人間の家々を焼き尽くしていく恐ろしい炎の惨劇の様子が描き出されていくことになります。
こうした見えることの災いと苦しみが描かれるリュンコイスの詩の後半部分は、ドイツ語の原文では以下のように記されています。
・・・
Nicht allein mich zu ergötzen,
Bin ich hier so hoch gestellt;
Welch ein greuliches Entsetzen
Droht mir aus der finstern Welt!
Funkenblicke seh ich sprühen
Durch der Linden Doppelnacht,
Immer stärker wühlt ein Glühen
Von der Zugluft angefacht.
Ach! die innre Hütte lodert,
Die bemoost und feucht gestanden,
Schnelle Hülfe wird gefordert,
Keine Rettung ist vorhanden.
Ach! die guten alten Leute,
Sonst so sorglich um das Feuer,
Werden sie dem Qualm zur Beute!
Welch ein schrecklich Abenteuer!
Flamme flammet, rot in Gluten
Steht das schwarze Moosgestelle;
Retteten sich nur die Guten
Aus der wildentbrannten Hölle.
Züngelnd lichte Blitze steigen
Zwischen Blättern, zwischen Zweigen;
Äste dürr, die flackernd brennen,
Glühen schnell und stürzen ein.
Sollt ihr Augen dies erkennen!
Muss ich so weitsichtig sein!
Das Kapellchen bricht zusammen
Von der Äste Sturz und Last.
Schlängelnd sind, mit spitzen Flammen,
Schon die Gipfel angefasst.
Bis zur Wurzel glühn die hohlen
Stämme, purpurrot im Glühn. –
Was sich sonst dem Blick empfohlen,
Mit Jahrhunderten ist hin.
(Lange Pause, Gesang.)
Was sich sonst dem Blick empfohlen,
Mit Jahrhunderten ist hin.
塔守のリュンコイスの詩の後半部分のドイツ語文と日本語文の対訳
そして、次に、上記のドイツ語原文を、発音とアクセントの目安を併記したうえで、ドイツ語原文と日本語との対訳形式で一行ずつ訳していくと以下のようになります。
※ただし、ドイツ語文で強調して読まれるアクセントの目安については、ドイツ語文の下に記した発音を示すカタカナ表記を太字で記すことによって示すこととし、
日本語の訳文を書いた後の※印の部分でところどころ簡単な文法上の注釈を付記している箇所があります。
また、ドイツ語文と日本語文との対訳関係がより分かりやすくなるように、日本語文の訳文において重要な意味を担う箇所を太字で記したうえで、それに対応するドイツ語文の箇所も太字にする形で記しています。
・・・
Nicht allein mich zu ergötzen,
(ニヒトゥ・アライン・ミヒ・ツー・エアゲッツエン)
ただ喜びを感じるためだけに
Bin ich hier so hoch gestellt;
(ビン・イヒ・ヒーア・ゾー・ホッホ・ゲシュテルトゥ)
私はこんな高い場所にとめ置かれているわけではない。
Welch ein greuliches Entsetzen
(ヴェルヒェ・アイン・グロイリヒェス・エントゼッツェン)
Droht mir aus der finstern Welt!
(ドロートゥ・ミア・アオス・デア・フィンスターン・ヴェルトゥ)
暗闇の世界から何か身の毛がよだつような恐怖が迫ってくる。
※[3格]+drohen:~に~が迫っている
Funkenblicke seh ich sprühen
(フンケンブリッケ・ゼー・イヒ・シュプリューエン)
Durch der Linden Doppelnacht,
(ドゥルヒ・デア・リンデン・ドッペルナハトゥ)
菩提樹の下の二重の闇の中に炎の煌きが見える。
※Linde:菩提樹、シナノキ。ドイツの首都ベルリンの大通りの一つであるウンター・デン・リンデン(Unter den Linden、「菩提樹の下」の意味) などで有名。
※Doppelnacht:Doppel(二重の)+Nacht(夜)。真夜中の闇と菩提樹の木陰の闇で、菩提樹の下に二重の暗闇ができていることを意味する。
Immer stärker wühlt ein Glühen
(インマー・シュテルカー・ヴュールトゥ・アイン・グリューエン)
Von der Zugluft angefacht.
(フォン・デア・ツークルフトゥ・アンゲファハトゥ)
吹き抜ける風の流れに煽られて赤熱の炎がさらに激しく燃え上がる。
Ach! die innre Hütte lodert,
(アハ・ディー・インレ・ヒュッテ・ローダルトゥ)
Die bemoost und feucht gestanden,
(ディー・ベモーストゥ・ウントゥ・フォイヒトゥ・ゲシュタンデン)
ああ、苔に覆われ露に濡れたあの小屋の内にも火の手が上がる。
Schnelle Hülfe wird gefordert,
(シュネレ・ヒュルフェ・ヴィアトゥ・ゲフォルダートゥ)
早く助けなければならないが、
Keine Rettung ist vorhanden.
(カイネ・レットゥング・イストゥ・フォアハンデン)
救いの手はどこからも差し伸べられることがない。
Ach! die guten alten Leute,
(アハ・ディー・グーテン・アルテン・ロイテ)
ああ、あれほど善良な老夫婦が、
Sonst so sorglich um das Feuer,
(ゾンストゥ・ゾー・ゾルクリヒ・ウム・ダス・フォイアー)
いつもあれほど几帳面に火には気をつけていたのに、
Werden sie dem Qualm zur Beute!
(ヴェアデン・ズィー・デム・クヴァルム・ツア・ボイテ)
立ち込める煙の中で犠牲となる。
Welch ein schrecklich Abenteuer!
(ヴェルヒ・アイン・シュレックリヒ・アーベントイアー)
なんと恐ろしく耐え難い災厄だろう。
※Abenteuer:冒険、危険な体験、異常な出来事
Flamme flammet, rot in Gluten
(フランメ・フラメトゥ・ロットゥ・イン・グルーテン)
Steht das schwarze Moosgestelle;
(シュテートゥ・ダス・シュヴァルツェ・モスゲシュテレ)
炎は燃え盛り、業火の中で、
苔むす小屋の黒い骨組みは赤々と燃える。
Retteten sich nur die Guten
(レッテテン・ズィヒ・ヌーア・ディー・グーテン)
Aus der wildentbrannten Hölle.
(アオス・デア・ヴィルデントゥブランテン・ヘレ)
あの善き人々だけでもこの荒れ狂う炎の地獄から逃れられていればよいのだが。
※sich+retten:助かる、逃れる
Züngelnd lichte Blitze steigen
(ツュンゲルントゥ・リヒテ・ブリッツェ・シュタイゲン)
Zwischen Blättern, zwischen Zweigen;
(ツヴィッシェン・ブレッターン・ツヴィッシェン・ツヴァイゲン)
木の葉の間、枝の合間から、
蛇の舌のような形をした明るい火柱が立ちのぼる。
Äste dürr, die flackernd brennen,
(エステ・デュル・ディー・フラッカーントゥ・ブレンネン)
わずかに残された木の枝がふと揺らめくように燃え上がると、
※dürr:乾燥した、不毛の、乏しい、わずかな
Glühen schnell und stürzen ein.
(グリューエン・シュネル・ウントゥ・シュテュルツェン・アイン)
すぐに燃え尽きて、焼け落ちていく。
※einstürzen:倒壊する、崩れ落ちる
Sollt ihr Augen dies erkennen!
(ゾルトゥ・イーア・アオゲン・ディース・エアケンネン)
私の目はこのようなものを見なければならないのか?
Muss ich so weitsichtig sein!
(ムス・イヒ・ゾー・ヴァイトズィヒティヒ・ザイン)
私はこんなにも遠くが見える目を持たなければならなかったのか?
Das Kapellchen bricht zusammen
(ダス・カペルヒェン・ブリヒトゥ・ツザンメン)
Von der Äste Sturz und Last.
(フォン・デア・エステ・シュトゥルツ・ウントゥ・ラストゥ)
焼け落ちた枝の重みで教会も崩れ落ちていく。
Schlängelnd sind, mit spitzen Flammen,
(シュレンゲルントゥ・ズィントゥ・ミットゥ・シュピッツェン・フランメン)
Schon die Gipfel angefasst.
(ショーン・ディー・ギプフェル・アンゲファストゥ)
すでに樹の梢にまで尖った炎が蛇のように絡みつき、
Bis zur Wurzel glühn die hohlen
(ビス・ツア・ヴルツェル・グリューン・ディー・ホーレン)
Stämme, purpurrot im Glühn. –
(シュテンメ・プルプルロートゥ・イム・グリューン・・)
虚ろな樹の幹は根元まで真紅の炎に包まれている。
※purpurrot:紫がかった濃紅色、深紅色、緋色
(Lange Pause, Gesang.)
(ランゲ・パオゼ・ゲザング)
長い間を置いて再び歌う。
Was sich sonst dem Blick empfohlen,
(ヴァス・ズィヒ・ゾンストゥ・デム・ブリック・エンプフォーレン)
これまでこの目にゆだねられてきたものは、
Mit Jahrhunderten ist hin.
(ミットゥ・ヤールフンダーテン・イストゥ・ヒン)
数百年を生きてきたあの老いた樹とともに、
すべて滅び去ってしまったのだ。
※[3格]+[4格]+empfehren:~に~をゆだねる、任せる
※hin:あちらへ、過ぎ去った、失われた、死んだ
見ることの苦しみが描かれるリュンコイスの詩の後半部分の全文和訳
そして最後に、上記のドイツ語文と日本語文の対訳の中から、和訳の部分だけを抜き出して、改めて該当箇所の全文和訳を記す形でまとめ直すと以下のようになります。
・・・
ただ喜びを感じるためだけに
私はこんな高い場所にとめ置かれているわけではない。
暗闇の世界から何か身の毛がよだつような恐怖が迫ってくる。
菩提樹の下の二重の闇の中に炎の煌きが見える。
吹き抜ける風の流れに煽られて赤熱の炎がさらに激しく燃え上がる。
ああ、苔に覆われ露に濡れたあの小屋の内にも火の手が上がる。
早く助けなければならないが、
救いの手はどこからも差し伸べられることがない。
ああ、あれほど善良な老夫婦が、
いつもあれほど几帳面に火には気をつけていたのに、
立ち込める煙の中で犠牲となる。
なんと恐ろしく耐え難い災厄だろう。
炎は燃え盛り、業火の中で、
苔むす小屋の黒い骨組みは赤々と燃える。
あの善き人々だけでもこの荒れ狂う炎の地獄から逃れられていればよいのだが。
木の葉の間、枝の合間から、
蛇の舌のような形をした明るい火柱が立ちのぼる。
わずかに残された木の枝がふと揺らめくように燃え上がると、
すぐに燃え尽きて、焼け落ちていく。
私の目はこのようなものを見なければならないのか?
私はこんなにも遠くが見える目を持たなければならなかったのか?
焼け落ちた枝の重みで教会も崩れ落ちていく。
すでに樹の梢にまで尖った炎が蛇のように絡みつき、
虚ろな樹の幹は根元まで真紅の炎に包まれている。
数百年を生きてきたあの老いた樹とともに、
これまでこの目にゆだねられてきたものは、
すべて滅び去ってしまったのだ。
・・・
以上のように、
『ファウスト』の第二部、第五幕の「深夜」の章で歌われる塔守のリュンコイスの詩では、
前半部分では見ることによって得られる美しさと喜びが歌われているのに対して、
後半部分では見えてしまうことによってもたらされる災いと苦しみの側面が描かれていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:ファウストのもとを訪れる四人の灰色の女たちと欠乏・罪責・憂い・困窮という四つの災厄の名、『ファウスト』の和訳と解釈⑩
前回記事:「見るために生まれ」塔守のリュンコイスの詩で歌われる目で見る世界の美しさ、リュンコイスの詩①、『ファウスト』の和訳⑧
「ドイツ語」のカテゴリーへ