功利主義において麻薬や覚せい剤の使用が否定される論理、快楽計算とは何か?⑫
功利主義においては、通常、個人主義の立場から個人個人の快楽の最大化を通じた社会全体の幸福の最大化が目指されることになるので、
個人が行う自分の快楽や幸福を追求する行為については、それが他人の快楽や幸福を直接的に阻害しない行為である限りは、道徳的にも善なる行為として許容されると考えられることになります。
したがって、
いわゆる被害者なき犯罪に分類される麻薬や覚せい剤の使用などの個人の私的な快楽追求の行為についても、それが直接的には他者には害を及ぼさないという前提に立つ限りでは、
そのような快楽の追求行為は、功利主義においては比較的広く容認する立場がとられることが多いと考えられることになります。
しかし、それに対して、
前回考察したような快楽計算における快楽の多産性と純粋性の概念を重視する功利主義の立場に立つと、
麻薬や覚せい剤の使用が直接的には他者には害を及ぼさない快楽であるという前提に立った場合でも、
そうした行為を道徳的に否定する論理を功利主義の範囲内において導き出すことができると考えられることになるのです。
暴飲暴食は快楽なのか?それともむしろ苦痛なのか?
前回書いたように、
身体的な快楽の多くは、求められている一つの快楽だけの単独では存在せずに、他の様々な快楽や苦痛と連関することによって成立していると考えられることになります。
そして、
それぞれの快楽が功利主義が要求する快楽の要件を満たす十分に価値の高い快楽として認められるかどうかは、
快楽計算において求められる全体的な快楽と苦痛の総和の評価によって決定づけられると考えられることになります。
つまり、
当人が求めている快楽から得られる副次的な快楽や苦痛も含めた全体の快苦の総和がプラスとなり、全体として快楽の方が大きいものであるとするならば、それは功利主義が要求する要件を満たす快楽として肯定されることになるのですが、
それに対して、
求められている快楽が、そこから連鎖的に生じる副次的な快楽と苦痛を計算に入れたときに、快楽よりも苦痛の方が大きく、全体としてマイナスの効用の方が大きくなってしまうものであるとするならば、
そのような副作用の大きい快楽は、功利主義においてはもはや快楽とはみなされず、それはむしろ、当人に対して苦痛をもたらす悪しき行為として退けられることになるのです。
そして、このような観点に立つと、
例えば、
味覚と食欲を満たす快楽の場合でも、それが暴飲暴食と呼ばれるような過度で全体のバランスを大きく欠くケースでは、
満腹感や心理的な満足感、ストレス解消といったプラスの効用よりも、後でお腹を壊したり体調を崩したりすることによって味わう苦痛やことになり、長期的に生じる肥満や健康を害するリスクといった連鎖的にもたらされる負の効用の副作用の方が大きくなると考えられることになります。
したがって、
暴飲暴食のような、快楽の多産性によるプラスの効用の増大よりも、快楽の純粋性の阻害による弊害の方が大きく、むしろ全体としてはマイナスの効用の方が大きくなる快楽については、
それは正確には、功利主義においてはもはや快楽とはみなされず、むしろ苦痛もたらす行為であると考えられることになるのです。
麻薬や覚せい剤の使用が功利主義において否定される論理
そして、それと同様に、
麻薬や覚せい剤の使用によって得られる快楽についても、それは、その快楽からもたらされる副次的な快苦の全体を計算に入れると、全体としてはマイナスの効用の方が大きくなってしまうケースに該当する快楽であると考えられることになります。
麻薬や覚せい剤の使用からは、心理的な多幸感やストレス解消といったプラスの効用を得ることができますが、
通常は、そうした効用以上に、依存症や中毒症状に陥って苦痛を味わうことになるリスクや、長期的に心身の健康を大きく損なうといった連鎖的にもたらされる負の効用の副作用の方が大きくなると考えられることになります。
つまり、
麻薬や覚せい剤の使用については、前述した暴飲暴食によって得られる快楽の場合と同様に、
一つの快楽が他の快楽を連鎖的にもたらすことによって得られる快楽の多産性のメリットよりも、その快楽の副作用として連鎖的にもたらされる苦痛や負の効用によって快楽の純粋性が損なわれるデメリットの方が大きいので、
そのような快楽は、正確には、功利主義においては快楽とはみなされない行為であると考えられることになるのです。
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以上のように、
麻薬や覚せい剤の使用行為については、快楽の多産性と純粋性の概念を重視する功利主義の観点に立つと、
それは、快楽計算における全体の快楽と苦痛の総和の評価においては、全体としてはマイナスの効用の方が大きくなってしまう快楽であり、功利主義における快楽の要件を満たさない価値の低い快楽であると捉えられることになります。
そして、
麻薬や覚せい剤の使用は、それがたとえ直接的には他者には害を及ぼさないという点では功利主義に反しない行為であるとみなされる場合においても、
その行為自体が、快楽計算においては、快楽というよりはむしろ苦痛をもたらす行為であるとされる点において、
それは、個人と社会の快楽の最大化を追求する功利主義の立場とは相容れない、功利主義の範囲内においても道徳的に否定される行為であるとみなすことができると考えられることになるのです。
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次回記事:身体的快楽の適用範囲の拡大における効用の分配と個々の快楽の逓減の原理、快楽計算とは何か?⑬
前回記事:快楽の多産性と純粋性の調停、副次的な快楽と苦痛の差としての全体的な効用の評価、快楽計算とは何か?⑪
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