快楽の多産性と純粋性の調停、副次的な快楽と苦痛の差としての全体的な効用の評価、快楽計算とは何か?⑪

前々回書いたように、

快楽計算における第四の要素である多産性の概念とは、一つの快楽がそれ自体だけでは完結せずに、他の快楽を副次的に生じさせていく快楽同士の連鎖的で相互的な影響関係のことを示す概念であり、

それに対して、前回書いたように、

もう一方の第五の要素である純粋性の概念とは、快楽がそれ自体として完結して存在し、他の副次的な効果を生じさせることなく、混じり気のない単一の快楽としてのみ存在するあり方のことを示す概念であると考えられることになります。

つまり、

快楽計算を構成する要素である多産性の概念と、純粋性の概念のそれぞれについては、

前者が、快楽は自分自身だけで完結せずに、なるべく多くの他の快楽と連関している方が価値の高い快楽のあり方であると主張しているのに対して、

後者は、快楽はなるべく自分自身だけで完結し、他の快楽とつながりを持たずに単独で存在している方が安定性が高く、価値の高い快楽であると主張することになるのです。

このように、一見すると、快楽の多産性純粋性におけるそれぞれの主張は、互いに正反対のことを述べている相互に矛盾する主張となっていると考えられることになるのですが、

こうした両者の主張は、快楽計算における全体的な効用の評価において、どのような形で調停されることになると考えられることになるのでしょうか?

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副次的な快楽と苦痛の差としての快楽の全体的な効用の評価

例えば、

おいしいものをお腹いっぱい食べるという身体的な快楽の場合、

それは、前回も取り上げたように、快い味覚や満腹感といった快楽を得られる反面、食べ過ぎてしまうことで体調を崩してしまったり、後々肥満などの原因ともなりえたりするなど、他のマイナスの効用へとつながってしまう公算の大きい純粋性の低い快楽であると考えられることになります。

しかし、その一方で、

味覚と食欲を満たすという快楽は、プラスの効用の面においても、それは単なる身体的な満腹感だけにとどまらず、

目当てのものを存分に味わうことができた心理的な満足感や、そうした美味で良質な食品の成分から得られる多幸感やリフレッシュ感からストレス解消効果なども副次的にもたらされると考えられることになります。

つまり、

このように、快楽が単独で存在せず他の様々な要素と連関してくるケースにおいては、ほとんどの場合、元となる快楽と連関してくるのは快楽と苦痛の両方であって、

それらの副次的な快楽と苦痛によってもたらされる効用の足し引きのすべてが快楽計算の内に組み込まれることによって、元となる快楽によって引き起こされる全体的な効用の評価が決定づけられると考えられることになるのです。

そして、

その元となる快楽を得ることによって、かえって副次的な苦痛やマイナスの効用の方が大きくなってしまうような場合は、それは、価値の低い悪質な快楽として切り捨てられることになりますが、

副次的な快楽と苦痛の双方を考慮に入れたときに、副次的な苦痛の総和を主要となる元の快楽と副次的に生じる快楽の総和が上回っていれば、それは価値の高い良質な快楽として認められることになり、そうした快楽は功利主義の快楽計算の原理において肯定されると考えられることになるのです。

・・・

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以上のように、

元となる一つの快楽から様々な副次的な快楽と苦痛が連鎖的に継起するタイプの快楽についての快楽計算においては、

元の快楽と副次的に生じる快楽の総和とその快楽から生じる副次的な苦痛の総和の差が計算されることによって、元となる快楽の価値の有無が決定づけられると考えられることになります。

そして、

元の快楽と副次的な快楽の総和よりも副次的な苦痛やマイナスの効用の総和の方が大きく

快楽の多産性から得られるメリットよりも快楽の純粋性が損なわれるデメリットの方が大きければ、その快楽の価値は否定されることになり、

その逆に、快楽の多産性のメリットの方が大きければ、その快楽の価値も肯定されるという形で、快楽の多産性と純粋性という両者の概念の調停がなされることになると考えられることになるのです。

例えば、

上記の例で挙げた味覚と食欲を満たす快楽の場合では、

おいしいものを食べるという味覚と食欲を満たすという主要となる快楽に、心理的な満足感や、ストレス解消効果などの副次的な快楽や効用が加算されたうえで、

そうした快楽の総和が、食べ過ぎて体調を崩してしまったり、肥満などの原因となるといった副次的な苦痛やマイナスの効用を上回るだけのプラスの効用を保てているとすればそれは価値の高い快楽として肯定されると考えられることになります。

・・・

そして、次回述べるように、

こうした快楽計算における快楽の多産性と純粋性の概念に基づくと、

通常は、麻薬や覚せい剤といった被害者なき犯罪については比較的広く容認する立場がとられることが多い功利主義においても、

そうした薬物の使用を道徳的に否定する論理を導くことができると考えられることになるのです。

・・・

次回記事功利主義において麻薬や覚せい剤の使用が否定される論理、快楽計算とは何か?⑫

前回記事:快楽の純粋性とは何か?書物や芸術の世界から得られる純度の高い快楽、快楽計算とは何か?⑩

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