倫理学の祖とは誰か?哲学を天上から人間へと引き戻したソクラテスと万学の祖アリストテレス
前回の「ソクラテスの哲学の概要」の冒頭でも書いたように、
ソクラテスの哲学思想は、古代ローマ随一の弁論家であったキケロによって
「哲学を天上(の世界)から人間と道徳(の世界)へと引き戻した」と讃えられることになります。
つまり、
世界はどこから来たのか?という問い、すなわち、天上の世界のものとも言える根源的原理への問いについて、それを論理的思考によって探究することを試みたタレスが哲学の創始者であるとするならば、
ソクラテスは、人間はいかにして善く生きることができるのか?ということを探究し続けた人倫の哲学、すなわち、倫理学の祖とすることができるということです。
しかし、その一方で、
倫理学の祖というと、一般的には、万学の祖とも呼ばれるアリストテレスの名も挙げられることになります。
ソクラテスとアリストテレスというこの二人の哲学者は、それぞれがどのような意味において倫理学の祖であると言えるのでしょうか?
学問としての倫理学と人間の生き方としての倫理学
ソクラテスの弟子であるプラトンのそのまた弟子であったアリストテレスは、
彼の大本の師であるソクラテスがその生涯にたった一冊の著作も残さなかったのとは対照的に、彼自身は数多くの著作を残していくことになります。
そして、
アリストテレスは、その膨大な量の学問研究と緻密な編纂の手法によって、倫理学や論理学といった一般的な意味での哲学に直接関わる学問分野だけにとどまらず、
神学や政治学、さらには、心理学、生物学、自然科学といったほとんどあらゆる分野におけるヨーロッパの学問研究の基礎を築いていったと考えられることになるのです。
ちなみに、
「政治学」(politika、ポリティカ)や「自然学」(physika、ピュシカ)、そして「倫理学」(ethika、エティカ)といった学問分野の区分の名前自体も、
基本的にはアリストテレスの学問研究が記された彼自身の著作の名前に由来しているものが多いと考えられています。
このような学問研究と学問分類上の偉大な業績から、彼は、前述したように万学の祖であると称されることになるのですが、
以上のような理由から、
倫理学という学問分野を、哲学という学問における一部門として確立させた学問としての倫理学の祖はアリストテレスであると考えられることになるのです。
ところで、その一方で、
倫理学という学問における知の探究の内容自体は、人間はいかにして善く生きることができるのか?という人間における善や幸福の探究にその主眼がおかれていると考えられることになります。
アリストテレスが倫理学について記した主著である『ニコマコス倫理学』(ちなみに、ニコマコスとはアリストテレスの息子の名)においても、その冒頭部分において、
「すべての技術とすべての学問的探究、そしてそれと同様に人間の行為と選択は、ある一つの善を目指していると考えられる」と述べられていますが、
こうしたアリストテレスの『ニコマコス倫理学』においても重視されている「善」そして、そうした善なる知に基づいて善く生きるということについて、それを哲学的に深く探究した人物はアリストテレスがはじめてだったわけではなく、
この善く生きるということについての知の探究こそが、彼の大本の師であるソクラテスが一生をかけて取り組んだ哲学探究におけるテーマであったと考えられることになります。
つまり、
アリストテレスによって倫理学(エティカ)という名前が与えられ、それが哲学における学問研究の一分野として確立される前に、
すでに、ソクラテスの段階において、善についての普遍的真理を論理的に探究していくという、のちに倫理学と呼ばれることになる知の営み自体は始まっていたと考えられることになるのです。
以上のように、
それを哲学という学問の一部を占める学問分野として確立させたという意味ではアリストテレスが倫理学の祖であると考えられることになるのですが、
善美なるものの普遍的真理について探究し、善く生きることを自らの一生をかけて探究し続けたという点においては、
やはり、ソクラテスこそがそうした意味での倫理学の祖、すなわち、善く生きるという人間の生き方を探究するという意味においての倫理学の祖であると考えられることになるのです。
・・・
関連記事:善く生きるとは何か?①ソクラテスにおける魂の気遣いと知の愛求への道
関連記事:ソクラテスの哲学の概要
「ソクラテス」のカテゴリーへ