最大多数の最大幸福とは何か?①ハチスンにおける善意と道徳感情の原理
「最大多数の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)とは、
社会を構成する最大多数の個人が幸福になることが社会全体の幸福であり、そうした個人と社会における最大幸福を求めるのが人間の行動選択や社会における政治や法律に求められる正しいあり方であるとする道徳原理のことを示す言葉です。
そして、この 言葉は、
18世紀イギリスの法学者にして社会思想家でもあるジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham、1748年~1832年)によって提唱された功利主義(utilitarianism、ユーティリタリアニズム)の思想内容を端的に示す一つのスローガン(標語)ともなっています。
しかし、
「最大多数の最大幸福」という表現自体は、功利主義の提唱者であるベンサムによってはじめて語られた表現ではなく、
この言葉をはじめて用いたのは、彼にさかのぼること50年ほど前のアイルランド出身のスコットランド啓蒙主義の哲学者フランシス・ハチスン(またはハッチソン、Francis Hutcheson、1694年~1746年)であると考えられることになります。
それでは、
この表現をはじめて用いたハチスンはそれをどのような意味で語っていて、ハチスンとベンサムという二人の思想家の間で、「最大多数の最大幸福」という言葉に込められた思想内容はどのように変化していったと考えられることになるのでしょうか?
ハチスンの道徳哲学における善意と道徳感情の原理
父、祖父ともキリスト教のプロテスタントの一派である長老派の牧師である聖職者一家に生まれたハチスンは、
スコットランドのグラスゴー大学で神学を学んだのち、自らの生地であるアイルランドの首都ダブリンに招かれて長老派の学校建設に尽力するなど、
キリスト教神学における道徳観からの強い影響を受けながら、自身の道徳哲学を築き上げていくことになります。
そのようなハチスンの道徳哲学において、キリスト教における愛や憐みといった徳のあり方は、善意(benevolence、ベネヴォレンス、仁愛、慈善の心)としてまとめて捉えられ、
そうした善意は、すべての人間に備わっている生得的な感情である道徳感情(moral sense、モラル・センス)によって導かれると説かれることになります。
そして、
道徳感情によって導かれる他者へ善意が拡大し、それが万人の幸福を願う普遍的善意へと到達することによって、社会全体における最大幸福が実現されると主張されることになるのです。
つまり、ハチスンにおいては、
社会全体における最大幸福の実現は、個人個人が持っている道徳感情が高められていき、他者への善意が万人に向けて最大化されることによってもたらされるというように、
道徳感情(モラル・センス)という宗教的とさえ言える極めて精神的な概念に基づいて、「最大多数の最大幸福」の思想が語られているということです。
「最大多数の最大幸福」と「最大多数者のための最大幸福」
ちなみに、
厳密に言うと、ハチスンが自身の著作である『美と徳の観念の起源』の中で語っている最大幸福についての表現では、
“the greatest happiness for the greatest numbers”とあり、
ベンサムによる表現と比べて、”of”が”for“に変わり、”number”の後ろに複数形の“-s“が付いた可算名詞の形となっている点に表記の違いがみられることになります。
不可算名詞としての”number”は、漠然とした数一般のことを示す表現なので、
“the greatest number“は「最大多数」という意味になりますが、
それに対して、
可算名詞としての”number”は、個々の事物や個々の人間の集合というように、数えられているものの具体的なあり方がより強調された表現になっていると考えられることになります。
したがって、
ハチスンの”the greatest happiness for the greatest numbers“という表現は、正確には、「最大多数者のための最大幸福」と訳す方がより適切であると考えられることになります。
しかし、
ベンサムの表現においても、「最大多数」”the greatest number“という言葉が個々の人間の集合としての多数のあり方、すなわち、最大多数者のことを示しているのは明らかなので、
多少の語句の違いがあるとはいえ、両者の表現は、文自体が示す意味内容としては、ほとんど同じ内容を表していると考えられることになるのです。
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以上のように、
「最大多数の最大幸福」という概念は、語句に多少の表記の違いがあるとはいえ、アイルランドの哲学者フランシス・ハチスンによって考え出された概念であると考えられることになります。
しかし、
ハチスンがこの言葉を、道徳感情(モラル・センス)という精神的な概念に基づく他者への善意の最大化という意味で用いていたのに対して、
功利主義者であるベンサムにおいては、同じ「最大多数の最大幸福」という概念がハチスンとは大きく異なる意味で用いられていくことになるのです。
・・・
次回記事:最大多数の最大幸福とは何か?②ベンサムの功利主義における身体的快楽の総和としての最大幸福
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