ノモス(慣習)とピュシス(自然)を分かつ思想、ソフィストとは何か?④
前回書いたように、
ソフィスト(sophist)という言葉は、本来、
知恵や専門知識を持つ人全般のことを指す幅広い意味で使われていたものが
アテナイにおける民主政治の進展のなかで、
授業料と引き換えに専門知識を提供する教養と弁論術の教師という
より限定された意味で用いられるようになっていくのですが、
そうしたソフィストたちの思想においては、
ノモス(慣習)とピュシス(自然)という
二つの概念の対立が強く意識されるようになっていきます。
ノモスとピュシスの区別と言論の力による既存の秩序への挑戦
古代ギリシア語におけるノモス(nomos)とは、
法律や慣習といった人間や社会によって決められた既存の秩序のことを指し示す概念であり、
それに対して、ピュシス(physis)とは、
自然や本性といった人間や社会における価値判断を超えた宇宙における不変の秩序のことを指す概念ということになります。
そして、
こうしたノモスとピュシスという概念の区分においては、
自然法則といった宇宙における普遍的な秩序を表すピュシスについては、
人間がいかに言論を駆使して論駁を試みたとしても、
その不変の秩序や法則自体を覆すことはできないわけですが、
法律や道徳といった社会における既存の秩序であるノモスについては、
それが過去の人間たちが作り上げた人為的で可変的な秩序である以上、
それを同じ人間の力である言葉と論理の力によって改変していくことは可能と考えられることになります。
そこで、
紀元前5世紀後半のソフィスト思潮の進展において、
アテナイ市民に対する教養と弁論術の教師という立場にあったソフィストたちは、
こうしたノモスとピュシスという
世界における秩序のあり方の区別を前提として、
自らが有する教養と弁論術という言葉と論理の力によって
既存の秩序や常識、道徳のあり方に対して挑戦を試みるようになり、
そうした知性と言論の用い方を人々にも教え勧めるようになっていったと考えられるのです。
つまり、
ソフィストたちは、社会における既存の秩序であるノモスを
自らの言論の力によって吟味し、批判していくことによって、
アテナイの社会全体を自然の本性に即した
より自由で新しい社会へと改革していくことを目指した
言論における急進的な改革者たちであったと捉えることができるのです。
ソフィスト思想におけるノモスの軽視と相対主義と懐疑主義への道
そして、このように、
世界における秩序のあり方をノモスとピュシスという二つの別々の概念として分けて捉え、前者を軽視し、これを改変していこうとする姿勢は、
社会における既存の秩序や慣習へと挑戦していく
改革の原動力となると同時に、
道徳的な価値観自体への相対主義や、
真理や倫理、正義そのものへの懐疑主義へもつながっていくことになります。
社会における既存の秩序や価値観の集合体とも言えるノモス(慣習)は、
法律や道徳における善悪の価値判断と強い関わりを持つ概念ということになりますが、
そうしたノモスにおける価値秩序全体が軽視され、
その価値基準の絶対性に対して疑義が呈されていくということは、
法律や道徳における価値基準の相対性の主張や、
それらの価値基準の根底にある普遍的な倫理や真理といった概念自体への根本的な懐疑主義へとつながっていくと考えられるということです。
こうした相対主義や懐疑主義の具体的な主張のあり方の例としては、
ソフィストの中でもその思想運動の先駆的な立場にあった
プロタゴラスにおける人間尺度説や
ゴルギアスにおける存在と真理に関する三段階の否定の論理などが挙げられることになります。
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以上のように、
ソフィストたちのノモス(慣習)とピュシス(自然)を分かち、
前者を軽視し、否定していく考え方は、
社会秩序としてのノモスの背後にあり、それを支えている
真理や善、正義といった全人類に共通する普遍的・絶対的価値基準自体を否定する思想へと必然的につながっていくと考えられることになるのですが、
こうしたソフィストたちにおける
相対主義や懐疑主義の思想に対して、
ソフィスト思潮の後に展開されるソクラテスやプラトンの哲学においては、
ソクラテスにおける善美なるもの(kalon kagathon、カロン・カガトン)や
プラトンにおける善のイデア(idea tou agathou、イデア・トウ・アガトウ)の概念のように、
絶対的な価値基準としての普遍的真理、普遍的な善の探求が行われていくことになります。
そして、
こうしたソフィストたちにおけるノモスとピュシスの区別を前提とした
価値基準の相対主義と真理や善といった概念自体への根本的な懐疑主義は、
普遍的真理や普遍的な善といった普遍的・絶対的な価値基準を追求していく
ソクラテスやプラトンの哲学との全面的な対立を迎えることになっていくのですが、
そうした思想上の根本的な立場の違いから生じる対立の中で、
ソフィストたちの思想は、ソクラテスやプラトンといったアテナイの哲学者たちから強い非難を受けることになり、
哲学史の中で、後者の思想の方が絶対的な影響力を持つようになるにつれて、
前者であるソフィストたちの思想は徐々に、排除されていき、
哲学史の表舞台から消し去られてしまうことになっていったと考えられるのです。
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このシリーズの前回記事:
ソフィストの語源となる言葉とソフィストが語源となる単語、ソフィストとは何か?③
このシリーズの次回記事:
ソフィストは哲学者なのか?古代と現代における哲学観の違い、ソフィストとは何か?⑤
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