ソフィストは哲学者なのか?古代と現代における哲学観の違い、ソフィストとは何か?⑤
前回書いたように、
ソフィストたちを特徴づける思想として、
ノモス(慣習)とピュシス(自然)の区別を前提とする
相対主義や懐疑主義の思想が挙げられることになるのですが、
それでは、
こうしたソフィストたちの思想は、哲学的探究という知の営みの範囲内にある思想として捉えることができるのでしょうか?
つまり、
ソフィストは哲学者と言えるのか?
という問題について、今回は考えてみたいと思います。
ソフィストにおける普遍的真理に対する相対主義や懐疑主義の思想が
哲学の範囲内にある思想と言えるのか?という問題は、本来、
哲学とは何か?という、より本質的な問いと深く関わっていく問題ということになるのですが、
どのような思想が哲学と呼ばれ、どのような思想が哲学ではないとみなされるのか?ということについては、
それぞれの時代において、どのような思想が哲学と呼ばれていたのか?
ということを考えることによって、
哲学とされる思想の範囲のおおよその輪郭が
浮かび上がってくることになります。
古代ギリシアにおける哲学のあり方と普遍的真理の探究
そもそも、古代ギリシア哲学においては、
最初の哲学者であるタレスの段階から
万物の始原(arche、アルケー、元となるもの)についての問いが立てられ、
世界の大本となる普遍的な構成要素や根本的原理への探求が進んでいくことになるのですが、
哲学における方法論としての普遍的真理の探究のあり方は、
古代ギリシア哲学の集大成であるソクラテスやプラトン、アリストテレスにおける哲学思想の段階においてより明確に打ち出されていくことになります。
ソクラテスやプラトンの哲学においては、
善美なるものや善のイデアといった普遍的真理、普遍的な善の探求が行われていくことになるのですが、
こうしたアテナイの哲学者たちにおける知の営みの中で、
普遍的真理、客観的真理を探究するという学問という哲学のあり方が確立されていくことになるのです。
そして、
こうした全人類に共通する普遍的真理の存在を認めず、
真理を相対的なものと捉えたり、その存在自体を懐疑する
ソフィストたちの相対主義や懐疑主義の思想は、
ソクラテスやプラトンによって確立された哲学探究の営みには該当しない
詭弁家や似非哲学者の思想として排斥されていくことになるのです。
現代における哲学の範囲の拡大と実存主義における主体的真理
そして、こうした
世界や人間精神の根本にある普遍的真理を探究するという
哲学探究のあり方は、
中世哲学から16世紀のデカルト哲学、
18世紀から19世紀前半のカントからヘーゲルへとつながるドイツ観念論哲学といった近代哲学においても基本的に踏襲されていくことになるのですが、
時代が19世紀後半へと入り、
実存主義や現代哲学と呼ばれる新たな哲学のあり方が提唱されるようになると、
そうした状況は一変していくことになります。
キルケゴールやニーチェなどに始まる
現代哲学の実存主義の思想においては、
従来の哲学における全人類に共通する普遍的理性といった客観的真理によっては汲み尽くせない現実に存在する個々の人間のありのままの姿である実存としての人間自身への探究が進んでいくことになります。
そして、
そうした哲学探究において求められる真理のあり方も、
全人類に共通する普遍的な客観的真理ではなく、
個々の人間自身における生きた真理とされる主体的真理の探究へと変容していくことになるのです。
つまり、
実存主義を経た後の現代における哲学思想の流れにおいては、
客観的真理、普遍的真理の探究こそが哲学の営みであるとする
古代から近代における従来の哲学観はもはや通用しないということになり、
近代から現代にかけて、哲学探究の目的や真理の捉え方といった
哲学の根本を成す概念のあり方が大きく変容していくのに伴って、
哲学とされる思想の範囲も大きく拡大していったと考えられることになるのです。
そして、
全人類に共通する普遍的な客観的真理を認めず、
個々の人間における主体的真理を重視する思想は、
ある意味では、古代ギリシアのソフィストたちの思想における真理を相対化し、普遍的真理の存在を懐疑する相対主義や懐疑主義にも通底する思想と捉えることもできるので、
以上のような実存主義や現代哲学の思想を踏まえた哲学観に基づくと、
ソフィストたちの思想も十分哲学の範囲に含まれる思想として捉えることができると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
古代ギリシアから近代にかけての哲学のあり方と、現代哲学との間では、
それぞれの時代における哲学観が大きく変容していくことになるのですが、
それに伴って、哲学とされる思想の範囲も大きく拡大していくことになり、
ソフィストたちの思想の捉え方と位置づけもそれぞれの時代における哲学観に基づいて変化していくと考えられることになります。
そして、以上のような考え方を踏まえると、
冒頭のソフィストは哲学者と言えるのか?
という問いに対する答えとしては、
普遍的真理を探究する学問という
古代ギリシアにおける哲学観に基づいて考えるとNO
実存主義や現代哲学の思想を踏まえた
現代における哲学観に基づいて考えるとYES
という結論になると考えられることになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:
ノモス(慣習)とピュシス(自然)を分かつ思想、ソフィストとは何か?④
このシリーズの初回記事:
ソフィストとは何か?①自然の探求から人間の魂の探究への過渡期に位置する思想
「ソフィスト」のカテゴリーへ
「哲学史の概要」のカテゴリーへ