エンペドクレスの四元素説と陰陽五行説の違いとは?四元素と五行説①
万物の根源とは何か?
という人類の普遍的な問いに対する
多元論の立場からの答えとしては、
エンペドクレスの四元素説の他に、
東洋思想における陰陽五行説などの思想が挙げられることになりますが、
こうした四元素説と五行説の思想には、
それぞれどのような具体的な特徴があり、
二つの思想にはどのような相違点があるのでしょうか?
四元素説と陰陽五行説の歴史的な年代関係
両者の思想についての具体的な内容に入っていく前に、まずは、
それぞれの思想が成立した歴史的な年代関係について整理しておきたいと思います。
四元素説をはじめて唱えたと考えられるエンペドクレスは
紀元前5世紀の古代ギリシアの哲学者であり、
彼は、それ以前のアナクシメネスやヘラクレイトスといった
古代ギリシアの自然哲学者たちの学説を参考にした上で、
それらの思想の影響下において、四元素説という哲学思想の体系を
築き上げていったと考えられます。
それに対して、
陰陽五行説を唱えたとされる鄒衍(すうえん)は、
古代中国の戦国時代(秦の始皇帝による古代中国統一以前の諸国分立時代)の最中である紀元前3世紀の時代を生きた陰陽家と呼ばれる学派に属する思想家であり、
彼は、万物の生成と変化を陰と陽の二つの力の対立と調和によって説明する
陰陽思想を発展させていく中で、
万物の生成と変化を五種類の元素の相互作用によって説明する
五行説の思想を生み出していったと考えられます。
したがって、
エンペドクレスの四元素説と鄒衍の陰陽五行説という両者の思想の間には、
直接的な影響関係があったとは考えにくいのですが、
四元素説と五行説の成立前後の思想史の流れを見ていくと、
紀元前5世紀にエンペドクレスによって唱えられた四元素説は、
彼の100年後の時代を生きた紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者である
アリストテレスによって、より緻密な哲学体系へと整備され、
アリストテレスによって整備された四元素説の思想は、古代ギリシア世界のみならず、その後のローマ人たちの社会の内へも広く受け入れられていき、
古代から中世にかけてのヨーロッパ全体における支配的な思想となっていきます。
そして、
そのアリストテレスのさらに100年後の紀元前3世紀に、ヨーロッパから遠く東へ離れた
古代中国において陰陽五行説が説かれることになるので、
こうした年代関係のみから考えると、ひょっとしたら、
紀元前3世紀頃には、すでにヨーロッパにおいては
広く知られる主流思想となっていた四元素の学説について、
場所は遠く離れているとはいえ、同じ時代を生きていた思想集団である陰陽家たちが
西方から古代中国を訪れた旅の商人などからそうした思想の断片を
伝え聞くようなことがあったと考えることはできるかもしれません。
ただ、いずれにせよ、
こうした四元素説と陰陽五行説という両者の思想には、
取り上げられている元素の数やその種類などといった
思想の表面的な部分には多くの類似点があるのですが、
それぞれの具体的な思想内容自体から描き出される世界観は、
互いに大きく異なるものとなっていくのです。
四元素説と五行説における元素の種類の違い
エンペドクレスの四元素説における
水、空気、火、土という四要素は、
自然界を司る四大の力になぞらえて
地水火風と称されることもありますが、
こうした四元素説における四要素を
陰陽五行説において万物を形づくる五要素となる
木火土金水と比べると、
四元素説の地水火風から風の要素を除外して、
代わりに、木と金という要素を新たに加えたものが
陰陽五行説における五元素であると捉えることができます。
つまり、
陰陽五行説=四元素説-「空気」+「木+金」
ということです。
そして、
こうした四元素説と五行説における
元素の種類の相違点について図式化すると以下の図のようになります。
※なお、実際の陰陽五行説における五元素の木火土金水のそれぞれは、
五色として青赤黄白黒に対応することになりますが、このシリーズでは四元素説との元素の対応関係が分かりやすくなるように、五行説における五元素も、元素の概念から一般的にイメージされる色に揃えて表記しています。
「水」と「火」と「土」を結んでできる三角形はそのままにして、
四元素が形づくる四角形の上の頂点の位置にある
「空気」を「木」と入れ換え、
さらに、
四元素における「土」と「水」の間に「金」が割って入ると
五行説における五元素のすべてが揃うことになるということです。
四元素説と五行説における具体的な思想内容の違い
このように、元素の数やその具体的な種類についても類似点が多い
四元素説と五行説ですが、その具体的な思想内容においては、
以下のような大きな違いがみられることになります。
ギリシア哲学における四元素説においては、
四元素のそれぞれは、万物を形づくる究極の構成単位として捉えられていて、
四元素のそれぞれが適切なバランスで配合されることによって
世界に存在するあらゆる事物が形成されると考えられることになります。
そして、
四元素説においては、元素のそれぞれは、
宇宙の始まり共に存在し、新たに生成することも消滅することもない
不生不滅の存在であるとされますが、
そうした永久不変の存在としての元素においては、
一つの元素が他の種類の元素へと変化したり、別の種類の元素を新たに生み出したりするといったことは決して起こりえず、
四元素のそれぞれは、
極めて独立性が高い存在として捉えられることになります。
それに対して、
東洋思想の陰陽五行説においては、
五行を構成するそれぞれの元素は、
互いに互いを生み出しあうという双生の関係にあり、
木が燃えて火を生み、火が燃え尽きると灰となって土に還り、
土の中では金属が結晶して金が生じ、金属の表面には水分が凝結して水が生じて、
水に養われることによって植物が育ち木が生じるというように、
陰陽五行説においては、
木火土金水の五行が互いに互いを生み出すという
五元素の循環の内に世界が存立していると捉えられているのです。
そして、
陰陽五行説においては、五行の循環と調和の関係は、
自然における様々な変化や人間の身体や生活とも
広く結びつけられていくことになります。
例えば、
木火土金水の五行の概念は、そのまま五曜として、
日曜日と月曜日を除いた
木曜日、火曜日、土曜日、金曜日、水曜日という
五つの曜日のそれぞれに対応することになりますし、
人間の身体においても、
肝臓には木が、心臓には火が、脾臓には土が、肺臓(肺)には金が、腎臓には水が
それぞれ対応することによって、五臓のすべてが揃うことになります。
また、
季節においては、春夏秋冬の四季のそれぞれについて、
春には木が、夏には火が、秋には金が、冬には水が対応することになりますが、
残った土の概念は「土用」として暦の中に加わることになります。
土用というと、鰻を食べる習慣がある「土用の丑の日」が一番有名ですが、
他にも四季が移り変わるそれぞれの季節の節目に、一年のうち計四回、
それぞれ18日間ずつ土用と呼ばれる時期が挟み込まれることになるのです。
このように、
陰陽五行説における五行思想は、
自然における季節の変化や人間の生活とより密接に結びついた思想であると
考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
200年ほどの時を隔てて、世の東西で生まれた
四元素説と陰陽五行説というそれぞれの思想は、
万物を構成する元素の数やその具体的な種類においても
類似点が多く見られることになるのですが、
その思想の具体的な内容は、
四元素説においては、個々の元素の独立性が高く、
一つの元素が別の種類の元素を生み出すことが不可能であるのに対して、
陰陽五行説では、五行を構成するそれぞれの元素が
互いに互いの元素を生み出しあう双生の関係にあり、
そうした五元素の循環の内に世界が存立していると捉えられている点、
そして、
陰陽五行説の方が、四元素説よりも、
より自然の具体的な変化や人間の身体や生活との関係が深い
自然や人間の生と深く結びついた思想となっているといった点などに
両者の思想の大きな違いがあると考えられることになるのです。
また、
五行説においては、五行が互いを生み出しあう双生の関係と共に、
五行が互いを殺し合う相剋の関係も描かれることになるのですが、
こうした相剋におけるような
それぞれの元素が有する性質同士の対立関係は、
五行説だけではなく、四元素が形成する四角形における
対角線上に位置する元素同士の内にも
類似するような対立関係の思想を見いだすことができるので、
そうしたことについては、
また次回考えてみたいと思います。
・・・
このシリーズの関連記事:一元論のモノトーンの世界観から多元論の多彩な世界観への転換、エンペドクレスの四元素とは何か?①
このシリーズの次回記事:五行説の相剋と四元素における熱冷乾湿の四項対立の図形的関係、四元素と五行説②
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