パルメニデスの存在の一元論とは何か?③唯物論と唯心論哲学の源流

このシリーズの前回の議論で考えたように、

パルメニデスにはじまる
エレア学派の存在の哲学は、

弟子であるメリッソスの段階において、

存在の数的一元論の哲学として
完成すると考えられます。

そして、

こうしたパルメニデスとメリッソスによって創り上げられた
存在の一元論の思想は、

その後のあらゆる一元論哲学、すなわち、
すべての唯心論および唯物論哲学の源流となっていると考えられるのです。

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パルメニデスの存在の哲学からメリッソスの唯心論へ

メリッソスにおける実在の非物体性シリーズ
で詳しく考察したように、

メリッソスは、パルメニデスの存在の哲学における
真なる実在である「あるもの」(to eonト・エオン)を

完全で全一なる数的一性を持った存在であると同時に、
それを非物体的な存在であるとも捉えていて、

そこから、真なる実在である「あるもの」は、
精神的実在としての神と同一の存在であるという思想が
必然的に導かれることになります。

そして、

こうしたパルメニデスの存在の哲学
メリッソスにおける非物体性の思想が

プラトンイデア論(すべての存在の根源には非物体的な真なる実在であるイデアidea観念)があり、現実の世界におけるすべての事物は、イデアを原型として、その似像(にすがた)として存在するという思想)や、

そく自然deus sive naturaデウス・スィウェ・ナトゥラ)や
万有内在神論panentheismパンエンセイズム、あらゆる存在が神の内に存在するという思想)といったスピノザにおける神の概念などの

その後のすべての唯心論ないし唯神論哲学の源流となっている
と考えられるのです。

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パルメニデスの「あるもの」からデモクリトスの唯物論へ

そして、その一方で、

原子論とパルメニデスおよびエレア学派の関係
で詳しく考察したように、

パルメニデスの「あるもの」(ト・エオン真なる実在)は、
レウキッポスデモクリトスによって、

不生不滅不可分性自己同一性
といった基本的な規定は受け継がれつつ、

不動性数的一性という
二つの規定は否定される形で、

原子論atomismアトミズム)の理論へと
組み換えられていくことになります。

つまり、

パルメニデスとメリッソスにおいて、
不動であり、一なる存在であると捉えられていた
「あるもの」(ト・エオン)が、

レウキッポスとデモクリトスにおいては、
運動性多数性を有する

分割不可能な実在の基本単位である
原子atomaアトマ)として捉え直されることによって、

魂も、宇宙全体も、
すべてが物質的存在としての原子から構成されるという
唯物論哲学へとつながっていくことになるのです。

メリッソスが、パルメニデスの存在の哲学を継承し、
その理論を論理的整合性の高い緻密な哲学体系へと創り上げていくなかで、

真なる実在である「あるもの」は非物体的存在であるという
唯心論哲学の結論へとたどり着いたのに対して、

レウキッポスとデモクリトスは、
パルメニデスにおける「あるもの」(ト・エオン)の概念の
一部を受け継ぎつつ、別の一部については批判し、

その上に、新たに作り上げた自らの理論を積み上げていくことによって、
唯物論哲学の理論を打ち立てていったということです。

そして、

そうした意味において、
デモクリトスら原子論者たちも、

知性論理によって真に実在するものを探究する
パルメニデスにはじまるエレア学派の流れの一つの支流にあり、

存在の哲学の思考の流れの一つの到達点に位置する
哲学者たちであったと考えられるのです。

・・・

以上のように、

パルメニデスにはじまる
存在の哲学の思考は、

メリッソスにおける真なる実在永遠性非物体性といった
唯心論哲学の思想へと到達すると同時に、

レウキッポスやデモクリトスといった原子論者たちのような
唯物論哲学へと進んでいく可能性もある

思考の発展の可能性を幅広く、かつ、奥深く持った
あらゆる哲学の一つの原型となるような
哲学思想であったと考えられるのです。

・・・

このシリーズの前回記事:
パルメニデスの存在の一元論とは何か?②メリッソスの数的一元論

パルメニデス」のカテゴリーへ
唯物論」のカテゴリーへ
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