メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学①完全にして全一なる非物体的存在

パルメニデスの存在の一元論とは何か?②メリッソスの数的一元論
で詳しく考えたように、

パルメニデスにはじまる存在の哲学は、

メリッソスの哲学において、
存在の数的一元論として完成することになり、

真なる実在である「あるもの」(to eonト・エオン)は、

空間的無限性時間的永遠性の内にある
排他的で絶対的な唯一無二の実在であることが明らかにされます。

そして、

メリッソスは、
彼自身の哲学体系の発展の最終段階において、

真なる実在である「あるもの」が、さらに
非物体的存在であると結論づけることになるのですが、

それが具体的にどのようなことを意味することになるのか?
ということについて、これから三回にわたって考えていきたいと思います。

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物体的存在における多数性と不完全性

メリッソスの論証に従うと、

「あるもの」(ト・エオン)の完全性から
空間的・時間的無限性数的一性が導かれ、

さらに、数的一性完全性に基づいて、

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)が
非物体的存在であることが必然的に導き出されることになるのですが、

それは、以下のような議論によります。

メリッソスの数的一元論」で詳しく書いたように、

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)は、
欠けるところがない、完全で全一なる存在であり、

そのものにおいては、
いかなる意味でも欠如限界も存在し得ないので、

「あるもの」は、空間的にも時間的にも無限なる存在
ということになります。

そして、

空間的に無限な存在においては、
すべてが自分の領域の内にあることになり、
自分自身と他のものとを隔てる境界が一切存在しないことになるので、

「あるもの」は、無限に広がる空間に遍在へんざいする(あらゆる場所にあまねく存在する)
数として一なる存在ということになります。

つまり、

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)は、
数として一である完全なる存在ということです。

それに対して、

現実の世界における物体物質的存在は、
常により小さい存在、より小さい部分へと分割できる
分割性多数性を持った存在であると考えられます。

そして、

物体的存在が分割性を持つということは、
それが、完全性を有し得ないということを意味します。

例えば、

飛行機から翼を取り外すと飛ぶことができなくなり、
車輪やエンジンを取り外すと地上を走ることもできなくなるというように、

分離や分割が可能である存在は、
その存在のある部分が分離して欠けてしまうことにより、
そのもの本来の能力が欠如してしまうことが常にあり得るので、

それは、いかなる意味においても欠けることがあり得ない
完全で全一なる存在とは言えないということになるのです。

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完全にして全一なる非物体的存在

以上のように、

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)が、
数として一であり、完全で全一なる存在であるのに対して、

現実の世界における物体的存在は、
数として多であり、完全性を有さないので、

「あるもの」が物体的存在であることは
論理的に不可能ということになります。

そして、

「あるもの」が物体的存在ではあり得ないならば、
それは、必然的に、非物体的存在であるということになり、

ここにおいて、

空間における無限性時間における永遠性の内にあり、
一なる存在として自らの内にすべての存在を内包する

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)の
完全にして全一なる非物体的存在としての姿が明らかになるのです。

それは、もはや、
単なる存在や実在といった概念の範疇を超えた
一神論における全能なる神とも一致するような概念
ということにもなるのですが、

こうした「あるもの」の非物体性についての
より具体的な考察に入る前に、

ここで、メリッソスの段階で新たに追加された
「あるもの」(ト・エオン)の本性規定の間の論理的整合性について、
一つの疑問が生じることになります。

それは、

真なる実在である「あるもの」(ト・エオン)における
空間的無限性と、非物体性という二つの本性規定のあり方は、
互いに矛盾する概念となってしまっているのではないか?

という疑問です。

この問題については、
次回、詳しく考えていきたいと思います。

・・・

このシリーズの次回記事:メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学②無限の空間の内に遍在する大きさなきもの

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