真理へ至るための3つの道②否定の道と般若心経とパルメニデス

前回の「肯定の道」に引き続いて、

今回は、真理へ至るための2つ目の道である、

否定の道」がどのような道であるのか考えていきたいと思います。

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真理ではないものを挙げて、真理を浮き彫りにする

真理探究のための論理的方向性としての
否定の道は、

真理でないものを次々に明らかにしていくことで、

真理に迫って行く道です。

つまり、

真理ではないもの
取り去っていくことで、

真理の姿を、
徐々に浮き彫りのように
浮かび上がらせていくということです。

数字で言うと、

背理法(ある命題が偽であると仮定して、そこから矛盾を導くことにより、元の命題が真であることを証明する方法)

がそれにあたり、

シャーロック・ホームズの言葉を借りるなら、

不可能のものを消去していって、残ったものは、どんなにあり得なそうに見えることだとしても、それが真実に違いない。

When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.

ということになります。

不生不滅、不垢不浄、不増不減

真理探究の方向性としての
否定の道がたどる思考の形は、

例えば、『般若心経』などの
仏教思想にも、色濃く表れています。

般若心経』では、

仏教の根本教義とも言われている、
「色即是空、空即是色」の文の後で、

是諸法空相、不生不滅不垢不浄不増不減
是故空中、色、受・想・行・識、
眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法。
眼界、乃至、意識界。

と続きます。

諸法空相」というのは、

諸法この世に存在するすべてのもの」は、

不変で固定的な実体は存在しない」という

様相(事物の存在の仕方・状態)」のもとにある、

という意味なので、

「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。…」
という文は、

この世界のすべての存在は、空という様相のもとにあり、
それは空という真実の様相のもとでは、

生じることも滅することもなく、
清い穢れもなく
増えたり減ったりすることもない、…

というような意味になります。

この文に使われている単語を見ると、
「不、不、不、不、不、不、」
「無、無、無、無、無」

否定詞がずっと連続していることからもわかるように。

この文では、

存在の真実の様相の否定的な定義
ずっと続いています。

つまり、ここでは、

存在の真の姿は、
○○ではない○○でもない○○でもない・・・と、

否定の道の形式で、真理が語られているということになります。

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パルメニデスの「あるもの」

哲学者の例で言うと、

感覚経験に頼る認識を排し、

論理によって存在そのものを追求しようとした

エレア学派の祖であり、

おそらくソクラテス以前では、
古代ギリシア最大の哲学者である

パルメニデス(紀元前5世紀頃の古代ギリシアの哲学者)
の言葉が、

この真理探究の道の構造をよく示しています。

パルメニデスは、

あるものト・エオン)」

すなわち、

真に存在するもの存在そのものとは何であるか?
という問いについて、

あるものは、

不生にして不滅であり、

完全にして、揺るがず終わりなきものである。

それは、あったことはなくあるだろうこともない
なぜなら、今あるのだから。

(パルメニデス・断片8)

と答えています。

つまり、

あるもの」、真に存在するものとは、

生成消滅するものではなく、
移動や変化するものでもなく、
過去や未来といった時間のうちにあるものでもない、

ということです。

この「あるものト・エオン)」が何であるか?ということに関する
パルメニデスの論証については、後で別に詳しく考察する予定ですが、

それはともかく、

パルメニデスは、

論理によって真理を探究していくなかで、

存在とは何か?という問いへの答えとしての
真理を、

否定の道という論理の形式によって、
浮き彫りにするようにして明らかにしていった
ということです。

・・・

このシリーズの次回記事:
真理へ至るための3つの道③デカルトの方法的懐疑と夢の中の認識

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