クセノフォンの行軍とペルシアの王子キュロスの野望:クナクサの戦いでのギリシア人傭兵の奮戦とギリシア本土への帰還の旅

前回書いたように、ペロポネソス戦争での敗戦の後に成立した三十人政権が民主派の市民たちの手で打ち倒されることによって民主政が復活することになったアテナイでは、

三十人政権の首謀者となったクリティアスカルミデス、さらにそれ以前にさかのぼるペロポネソス戦争におけるアテナイの敗戦の原因をつくったアルキビアデスといった人物とソクラテスとの関係も一因となることによって、

不敬神の罪を口実として引き起こされたアテナイの民衆裁判においてソクラテスに対して不当な死刑判決が下されることになります。

そして、このようにアテナイにおいて民主政が復活してソクラテス裁判が開かれていた頃、ソクラテスの弟子の一人であったクセノフォンは、アテナイから遠く離れた異国の地においてペルシアの大軍と対峙することになるのです。

スポンサーリンク

ペルシアの王子キュロスの野望とサルディスへと赴くクセノフォン

クセノフォンの行軍とキュロスが率いた1万人のギリシア人傭兵の帰還

ソクラテスの弟子にして親しい友人の一人でもあったクセノフォン(Xenophonの名は、ラテン語ではクセノフォン、古代ギリシア語ではクセノポンと発音されることになりますが、

こうしたアテナイ出身の著述家であったクセノフォンは、古代ギリシアの軍人としても名が知られた人物としても位置づけられることになります。

アテナイにおいて三十人政権が打倒されて民主政が復活することになった紀元前の401年クセノフォンは隣国のテーバイ出身の友人であったプロクセノスからの誘いを受けて、

ギリシアの東方に位置するアケメネス朝ペルシアのアナトリア半島における中心都市であったサルディスへとエーゲ海を越えて赴いていくことになります。

当時、ペルシア帝国では、紀元前405年にダレイオス2世が死んだ後、二人の王子のうちの兄にあたるアルサケスが王位を継いでアルタクセルクセス2世として即位することになるのですが、

それに対して、弟ではあったものの武勇に優れた野心家でもあった王子キュロスは、兄であるアルサケスの王位継承に異を唱えて、自らが総督としての地位にあったサルディスの地において反旗を翻すための軍備を整えていくことになります。

そしてその際、キュロスは、かつてのペルシア戦争におけるギリシア遠征の際に、ペルシアの大軍を圧倒的に劣る兵力によって常に退けてきたギリシアの重装歩兵の強さに目をつけ、

スパルタやテーバイといったギリシア本土における有力都市の各地からギリシア人の傭兵を集めて自らの軍勢へと加えていくことになるのです。

スポンサーリンク

キュロスの率いる反乱軍の偽りの名目による東方への進軍

そして、1万にもおよぶギリシア人の重装歩兵とそれとほぼ同数のアナトリアにおける自軍の兵士を集めることで遠征のために必要な軍備が整ったと考えたサルディスの総督であるキュロスは、

その後、そうした総勢で2万にもおよぶ大軍を率いて、自分の兄であるアルタクセルクセス2世から王位を奪うために、表向きは、アナトリアの奥地に住む山賊討伐を名目として東方へと向けて進軍していくことになります。

そして、ギリシア人の傭兵たちには、長い行軍の旅の途上において、遠征軍の一行がアナトリアの南東部に位置するキリキアのタルソスの町に着いた時に、今回の遠征の本当の目的が知らされることになるのですが、

一人一人の兵士が自力ではもとの場所には戻れなくなってしまうほど遠くまですでに行軍を続けてしまっていた傭兵たちは、報酬が2倍になることを条件にペルシアの王位を奪う反乱軍の行軍へと参加することを受け入れることになるのです。

スポンサーリンク

クナクサの戦いにおけるギリシア人傭兵の奮戦とキュロスの戦死

そしてその後、キュロスが率いる反乱軍の一行は、メソポタミア地方の古代都市であるバビロンに近いクナクサの地において、アルタクセルクセス2世が率いるペルシアの大軍と対峙することになり、

この時、1万人のギリシア人傭兵を含むキュロスが率いる2万の軍勢は、クセノフォンが書き残している90万以上の軍勢というのは行き過ぎた誇張であるとしても、自軍の2倍は優に超える大軍と戦うことになったと考えられることになります。

そして、こうした紀元前401年に行われることになったクナクサの戦いにおいては、数においては大きく劣るギリシア人の傭兵部隊の活躍によって、戦局はキュロス軍の側の優位へと大きく傾いていくことになるのですが、

勇猛果敢な武人であったキュロスは、そのまま勢いに乗って自ら敵陣の奥深くへと斬り込んでいくことによって、敵軍の本陣を突破して、自らの兄であるアルタクセルクセス2世に手傷を負わせることになるのですが、

ちょうどその時、キュロスは、敵軍の兵士によって放たれた槍に体を貫かれることによって戦死してしまうことになるのです。

スポンサーリンク

クセノフォンの行軍と傭兵たちのギリシア本土への帰還

そして、雇い主であるキュロスを失ってそれ以上戦闘を続ける理由がなくなってしまったギリシア人の傭兵たちは、戦いの終結を望むことになるのですが、

その後、ギリシア人の傭兵隊長たちがペルシア軍の側との交渉のために呼び集められた際に、ペルシア軍の将であったティッサフェルネスの奸計によって、その多くが捕らえられて処刑されてしまうことになり、

1万にもおよぶギリシア人の傭兵たちは、自分たちの雇い主も指揮官もいなければ、戦うための目的も、祖国へと帰りつくための手段も持たないまま、敵国であるペルシアの領土の奥深くにおいて完全に孤立してしまうことになります。

そしてその後、それでも故郷であるギリシアの地を再び自らの足で踏むということだけに望みをかけるギリシア人の傭兵たちは、クセノフォンを含む数人を自分たちの新たな指揮官として選んだうえで、

ペルシア大軍による追撃に常に脅かされながら、アナトリアの内陸部を、故郷へと通じているはずの海を求めて、メソポタミアを流れるチグリス川沿いにひたすら北へ北へと進み続けていくことになります。

そしてその後、クセノフォンによって率いられたギリシア人傭兵たちの一行は、ついに黒海沿岸のギリシア人植民市にあたる港町であったトラペズスへとたどり着くことによって、船に乗ってギリシア本土への帰還を果たすことになるのです。

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ