アルキビアデスの四度の変心と祖国アテナイの亡国への道:スパルタでのアルキビアデスの暗躍とペルシアへの逃亡の末の死

前回書いたように、紀元前431年にはじまったアテナイとスパルタを中心とするギリシア世界を二分する戦いであるペロポネソス戦争は、

過激な発言によって民衆の支持を集めていくことによってアテナイの指導者にまで昇りつめていくことになったアルキビアデスによって強行されたシケリア遠征の失敗を転換点としてアテナイの側の不利へと大きく傾いていくことになります。

そしてその後、アルキビアデスは、シケリア遠征中の混乱のさなかに敵国であるスパルタへと逃亡し、その後もペルシアへと通じたり、再びアテナイへと戻ったりするといった四度にわたる変心と逃避行を繰り返していくことによって、祖国であるアテナイ亡国の道へと導いていくことになるのです。

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アルキビアデスにかけられた瀆神罪の嫌疑とスパルタへの逃亡

アテナイの名門貴族の家柄の生まれであり、巧みな弁舌によって民衆を魅了すると同時に、たぐいまれなる美貌と美しい肉体の持ち主でもあったアルキビアデスは、若い頃から男女を問わず数多くの美女や名士たちの浮名を流す奔放で派手な私生活を送っていたのですが、

そうしたアルキビアデスの自由奔放な性格と素行の悪さは、その後の彼の人生だけではなく、アテナイという国家そのものの命運にも大きな影響をおよぼしていくことになります。

紀元前415年アルキビアデスが自らの主導によってニキアスら和平派の政治家たちの反対を押し切ってシケリア遠征を強行することによって、6000人にもおよぶ重装歩兵を乗せたアテナイの大艦隊が港を出立しようとしていた時、

そうした遠征軍の出発の前夜に、アテナイの街道に建てられていたヘルメスの神像の首が一夜にしてすべて斬り落とされるという奇妙な事件が発生することになります。

遠征軍の出陣という国家の大事を前にして、この不審な事件についての調査はとりあえず後回しにされたうえで、アルキビアデスとニキアスが率いるアテナイの遠征軍はイタリア半島の南西に位置する古代ギリシア語ではシケリアと呼ばれていた現在のシチリア島へと向けて出立することになるのですが、

その後、アテナイ本国で行われた調査において、こうした神像の破壊という神を冒涜する行為に、普段から素行悪く徒党を組んで狼藉を働いていたアルキビアデスの友人たちが深く関わっていた疑いが強まることになり、アルキビアデス本人も彼らを招いてエレウシスの秘儀をまねた酒宴を開いていたという密告があったことから、

アルキビアデス自身に対してもそうしたヘルメスの神像を破壊するという神を冒瀆する行為へと関わった瀆神罪の嫌疑がかけられることになります。

古代ギリシアにおける最も偉大な哲学者として讃えられることになるソクラテスも、のちに、不敬神の罪に問われてアテナイの裁判において死刑の宣告を受けることによって毒杯を仰いで命を落とすことになるように、古代ギリシアでは、神を冒瀆する瀆神罪や不敬神にあたる罪は死刑に相当する重罪として位置づけられていたのですが、

瀆神罪の嫌疑がかけられたことによって、このままでは自分自身の命も危うくなると考えたアルキビアデスは、ソクラテスのように自らの命を懸けて正々堂々と裁判の場において弁明を行うといったことは考えもせずに、早々にアテナイの軍を離れて祖国を捨て、敵国であるスパルタへと逃亡してしまうことになるのです。

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スパルタでのアルキビアデスの暗躍と祖国アテナイの亡国への道

そしてその後、アルキビアデスは、逃亡先となったスパルタの地において、自分のことをより高く売り込むために、自分が持っているアテナイの情報をすべて横流しにしたうえで、祖国を窮地へと追い込んでいくことになる様々な献策を行っていくことによって、スパルタの人々からは高く評価されていくことになります。

こうしたスパルタへのアルキビアデスの献策によって、アテナイが位置するアッティカ平野を制圧する要衝であったデケレイアの地が占領されて要塞化されることになると、アテナイの人々は都市を取り囲む城壁から一歩も外に出ることができないほどの厳しい籠城戦を強いられていくことになります。

そしてその後、外交政策についても任されることになったアルキビアデスの暗躍によって、スパルタはイオニア地方のギリシア人の同胞をペルシアへと売り渡す代わりに、ペルシアからの資金援助を受けて海軍を建造する資金を手にすることになり、

ペルシアの金によって賄われることになったスパルタの海軍がアテナイの輸送船を脅かすことによって、食糧や物資の輸入経路を断たれることになったアテナイはさらなる窮地へと陥ることによって亡国への道を突き進んでいくことになるのです。

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アルキビアデスのアテナイへの凱旋とペルシアへの逃亡の末の死

こうして自らの祖国アテナイを敵国へと売り渡すことによってスパルタでの名声を手にすることになったアルキビアデスは、一時は、市民たちからスパルタの王位につくことを望まれるほどまでに名を上げていくことになるのですが、

そうした人気の絶頂のさなか、若い時から浮名を流していたアルキビアデスの奔放な性格と素行の悪さが再び大きな問題を引き起こすことになり、

スパルタの王妃と密通して彼女との間に子供までもうけてしまうことになったアルキビアデスは、妻を寝取られることになったスパルタのアギス王から命を狙われることを恐れて、今度は、ペルシアへと逃亡することになります。

そしてその後、ペロポネソス戦争においてアテナイの敗戦の色が濃くなっていき、スパルタの和平を図って、アテナイにおいて民主政が放棄されて400人の特権的な市民が政権を握る寡頭政が敷かれることになると、

こうしたアテナイの混乱を好機と捉えたアルキビアデスは、ペルシアの地に近いサモス島に駐留していたアテナイの海軍に働きかけて艦隊の指揮をとることになると、かつて自らの献策によって育て上げたスパルタの艦隊を打ち破ることによって、祖国アテナイ凱旋将軍として迎え入れられることになります。

しかし、こうしたアルキビアデスの祖国アテナイでの復権は長続きすることはなく、その後、副官であったアンティオコスの失策によって自らが率いる艦隊が敗れることになると、敗戦の責任を問われることを恐れたアルキビアデス再びペルシアへの逃亡を図ることになります。

そして、ペルシア帝国による庇護を求めて、太守ファルナバゾスが治める現在のトルコとの中西部に位置するフリュギアの地へと逃げ延びていくことになったアルキビアデスは、

この地において、かつての王妃との密通の罪と、その後、アテナイへと寝返ってスパルタ艦隊を沈めたことへの報復として、スパルタからの密使の要請によって放たれたファルナバゾスの刺客に暗殺されることになったとも、

フリュギアの地において目をつけた名家の娘を誘惑したために、その家の兄弟たちからの恨みをかうことによって家に火をかけられて矢と槍をあびせられて殺されたとも伝えられているのです。

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